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Rock 'n' Roll
センチメンタル・トリップ
DJ BOOCHANGと初めて逢ったのは、
確か2003年にセキラのライブで
初めて安城夢希望へ行った時でした。

ハコに着いてアムロに出迎えて貰い、
ゲーセンの前で話してた時に、アムロに
話し掛けて来たのがぶーちゃんでした。

タンクトップの肩一面にTATOOが入っていて、
一瞬「本物!?」と思ってひるみましたが、
この日出演のDJさんだと知って一安心(笑)

この日はG.R.P.C.のイベントでした。
初めてG.R.P.C.のDJプレイとイベントを
見させてもらい、一発でぶっ飛びました。

それまでDJというのは、単にバンド〜バンド間を
繋ぐための存在だと思っていたのが、バンドを
凌駕するほどの圧倒的な存在感で、積極的なMC、
客を煽るプレイ、何人ものDJが、それぞれの
ターンをその人の個性で彩るスタイル。

さすが三河は進んでるな〜と感心すると同時に、
それはある意味バンドよりも面白く、
ショックを受けるとともに、大ハマりでした。

中でも一番俺の好みにぴったりの選曲をしてたのが
ぶーちゃんで、「ホタテのロックンロール」を流す
のを聴いた時には、既に大好きになっていました(笑)

セキラは東海地方でライブをする時にはG.R.P.C.の
イベントに出る事が多かったので、何度も見る機会が
有ったのですが、特に親しくなったきっかけは、
2004年7月、鶴舞RADIXで初めてマックショウを迎えた
「狂い咲きロック」の時の事です。

終わってハコの外に出ると、ぶーちゃん達が表に居り、
「お疲れ様でしたー」と挨拶し、少し世間話をしてた時に
「実は俺も、中津川生まれなんですよ」とぶーちゃん。

て「へぇ〜どこなの?」
ぶ「尾鳩って知ってます?」
て「知ってるも何も、俺も尾鳩に住んでたよ。ところで名前は?」
ぶ「○○川ですけど」
て「えええーっ!?」

俺が子供の時に住んでた尾鳩という場所は、
下町は荒んでいて何故か不良が多く、
通りを一歩上がると、東京からの転勤族の大手企業の幹部社宅があり、
ピアノのお稽古に標準語。生活レベルが高く、山の手の雰囲気でした。

俺はお袋の仕事柄(看護婦で24時間呼び出しが掛かる)、
幹部社宅の一番端の長家住いでしたが、
当然下町のコミュニティに属していました。

その「○○川家」は、俺の裏の家(駄菓子屋)の、通りを挟んだ向いの家。
つまり2軒隣と言って良い、ごくごく近所です。

て「じゃあ、お兄ちゃんの名前って、ち○○君と、し○君?」
ぶ「そうです!そうです!」
て「えええーっ!?」

中津川には、"MILKY WAY"という伝説のチームが有ります。
俺も当時はガキ過ぎて実態は良く知りませんが、
中津川のバイク乗りなら、みんな憧れた伝説の存在です。

なんとぶーちゃんのお兄さんは、その創始者だったのです!!
俺も、ぶーちゃんのお兄さんには、ガキの頃可愛がって貰った事が有り、
CAROLのポスターとレコードに、初めて触れさせてくれたのは彼でした。

その頃は半分おっかない気持でビビってただけでしたが、
俺に最初のロックンロールの洗礼を受けさせてくれた人物が、
なんとぶーちゃんの、実のお兄さんだったとは、何と言う巡り合わせでしょうか!

そう言われてみれば、確か小さな弟が居て「○っ君」と呼んで
みんなで可愛がってた記憶が蘇ります。

いわば俺とぶーちゃんは幼馴染みでもあるのです。
中津川から岡崎へ引っ越して、何と30年振りの再会でした。
そんな事が有り、それからぶーちゃんは俺のマストなDJとなったのです。

その後ひょんな事から第一回クロネコナイト(2004年8月)の
DJをお願いするものの、その時はゆっくり相手をする時間も無く、
折に触れて中津川の話題が出る度に、
いつか再び中津川でゆっくり逢いたいものだと、ずっと願っていました。

そして6年後。
やっと今回のクロネコナイトで、その夢が叶いました。

当日1時に、高速バスで中津川インターBSに到着したぶーちゃんを
スカGで出迎え、「カフェ・アドレナリン.」へご案内。
ランチを楽しみつつ、貴重な裏話を色々聞かせてもらい、
満ち足りた一時を過ごしました。

店を出た後、ウチのガレージに案内し、バイク談義。
その後あの懐かしの場所へと向かいました。

わずか数百メートルの尾鳩のメインストリート。
俺の住んで居た社宅は跡形も無いものの、
下町は当時からほとんど変わっていません。

何と言っても、ぶーちゃんの生家も当時そのままに残っているのです。

二人で一緒に写真を撮っていたら、
当時を知る近所のおばさん達が何人も出て来て、
懐かしい話しに花が咲きました(笑)

しばらく当時の想い出に浸り、
写真を撮りまくり、町をぐるっと一周して、
それからブレスに向かったのでした。

クロネコナイトも素晴らしい時間だったけど、
その前に俺とぶーちゃんは、
こんなセンチメンタルトリップをしていたのです(笑)

いつも以上に饒舌で、ノリまくり、喋りまくりのDJプレイ。
あの日のぶーちゃんが最高にノリまくっていたのは、
中津川への愛に溢れていたからに違い有りません。

俺にとっての日本一のDJ。
俺にとっての永遠のアイドルぶーちゃん。
中津川クロネコナイトには、一番相応しいDJなんだと思います。


無料配付のMIXCDをGETした人も居る事でしょう。
それは、こんな俺の思いも詰まってる、とても貴重な物ですよ。
これからも、DJぶーちゃんへの応援よろしくお願いします!!
COOLS OLDIES SPECIAL
以前少し話題にしました
クールス・オールディーズ・スペシャルと
ワンダフル・ワールドについて書いてみようかと。

高一の時にストレイキャッツと出会い、
高二の頃はブラックキャッツにハマりまくり。
ロカビリーこそ最高と、大きなクイッフの
リーゼントを懸命に真似していたのがこの頃でした。

ブラックキャッツを教えてくれたのは、
当時からの相棒周ちゃん。しかし周ちゃんが
一番影響を受けていたのはクールスでした。

俺ももちろん「シンデレラ」とか「言えなかったんだ」
は嫌いじゃなかったけど、他は特に良いとも感じず、
舘さん無き後のクールスには全く興味が無かったのです。

加えて当時は永ちゃんの様に、ロックスターにとっては
TVには出ない事がステータスだった風潮に対し、
クールスはTVドラマに出演したりして、
そんな所が軽く感じ、少し俺の中でバカにしていました。

また当時既にストレイキャッツやブラックキャッツから
オリジナルであるエディ・コクラン、バディ・ホリー、
そしてもちろんエルヴィス・プレスリー、ジーン・
ヴィンセントなどを好んで聴く様になっていた俺は、
今さら日本のロックンロールなどに興味は無かったのです。

しかし洋楽の古い曲という繋がりから、オールディーズ
ナンバーには興味が有り、クールスの「ロックンロール
パーティー」というオールディーズカバーのみの企画物の
アルバムを周ちゃんから借り、これが結構気に入りました。

そして「オールディーズ」繋がりという事と、
ジャケのカッコ良さに釣られて聴いてみようと
思って借りた「クールス・オールディーズ・スペシャル」でしたが、
このアルバムが良い意味で期待を大きく裏切ってくれたのです。

まずはオールディーズというものの、全く聴いた事のない選曲。
サックスやピアノ、そして美しいコーラスの効いた、それまで
聴いていたロカビリーやジャパニーズロックとは全く違う音楽性。

加えてアカペラにファルセットボーカルといった、それまで
触れた事の無かった音楽。ひとこと「この音楽は何なんだ!?」と
それまでの音楽観がひっくり返るほどの衝撃だったのです。

詳しい説明の入ったライナーノーツを読むと、それらは全て
黒人がプレイしたR&Bやドゥーワップというナンバーであると言う事。
エルヴィスもロックンロールも、ルーツが全てそこに在る事を知りました。

少しバカにしていたクールスの、物凄く奥の深い音楽性に感激した俺は
次に「ロックンロール・バイブル」というクレイジー剣さん参加後の、
クールスの名曲をセルフカバーしたアルバムを借り、気に入った曲を
辿って、どんどんオリジナルアルバムを遡って行きました。

それで分かった事は、確かにヴィジュアル面では舘さんの頃が
注目されていたのに対し、音楽面では逆に舘さん脱退前と後とでは全く別物で、
特に脱退後2枚目のアルバム「BE A GOOD BOY」以降は最高であると言う事。

舘さん脱退後、30代半ばを過ぎても、革ジャン・ブルージーンズに
リーゼント・モーターサイクル・ロックンロールというスタイルを
全く曲げずに活動を続けている事を知り、
以降クールスこそが俺の生き方の原点となったのです。

また今でこそハーレーバイカーは腐る程居る訳ですが、
70年代からハーレーに乗ってる様なホンモノのハーレー乗りは、
まず間違い無くクールスの影響を受けていたと思います。

「基本はクールス」

このひと事で、全てが言い表せます。

そして素晴らしいアルバム「クールス・オールディーズ・スペシャル」は、
更に素晴らしい世界へ俺を導いてくれたのです。
その切っ掛けはワンダフル・ワールドでした。

続く…かな?
競馬ポマードの想い出
突然ですが、
競馬ポマードを手に入れました(笑)

俺がポマードをコレクションしてる事は
一部の人には有名ですが(?)
ずっと欲しくて欲しくて、20年間も追い続け、
入手はおろか、その姿を見る事さえ叶わなかった
最後の存在が、競馬ポマードだったのです。

初めてその存在に触れたのは、中学2年(1979)の事。
エーちゃんがヒーローで、野球小僧で角刈りの頭にも、
少し伸びて来たサイドへポマードを塗り、
リーゼント気分を味わっていた頃でした。

折しもその前年、ジョン・トラボルタの「グリース」が
公開され、芸能人の間にもリーゼントの人がちらほら
居たのですが(ちなみに所ジョージさんも当時リーゼントで、
競馬ボマードの愛好者でした)、田舎者の俺は、まだ原宿の
ローラーやクリームソーダの存在は知りませんでした。

なのでもっぱらポマードといえば、一般の化粧品屋さん
に売っている、資生堂とかカネボウの物しか知らず、
MG5にブラバス、エロイカ辺りが全てでした。

ところがクラスメートで俺達の間で、いわゆる番長格の
友達の家に遊びに行った時の事。彼には3つ上の、最強に
恐ろしいお兄ちゃんが居たのですが、そのお兄ちゃんが
留守の間に「いいもの見せてやる」と友達が、
2階のお兄ちゃんの部屋へ案内してくれました。

大型のコンポに、見た事も無いほどのたくさんのレコード。
壁には一面にキャロルやエーちゃんのポスター。灰皿には吸い殻の山。
「これが高校生の部屋か〜」と感動している俺に、友達が見せてくれたのは
黄色いフタに、キレイな馬の絵が描かれた小さな瓶でした。

「ジョッキークラブ競馬ポマード」と書かれたその瓶は、
きれいな深緑色をした良い香りのするポマードでした。

なんで競馬なんて名前なのか?
ジョッキーにリーゼント愛好者が多いのか?
それとも馬のたてがみを光らせるためのものなのか???

疑問は尽きませんでしたが、内緒で少し使わせてくれた
競馬ポマードは本当に良い香りで、一日気分が良く、
少し大人になった気分を味合わせてくれました。

その後俺も高校生になり、髪も伸びて念願のリーゼントにするようになりますが、
その頃にはクリームソーダやペパーミント、ハイヒールなどの50sショップ系の
ポマードを好んで使う様になります。

高校を卒業する頃になって柳屋を愛用する様になり、
未だに油性を使う時には柳屋を愛用しているのですが、
憧れの競馬ポマードの事は忘れられず、ずっと探していました。

地元の有名チーム、ミルキーウェイの先輩から「柳ヶ瀬の薬局で買った事がある」
と聞けば、柳ヶ瀬まで行って薬局めぐりをしたり、20年前に仕事の都合で
東京で暮らす様になった時には、休みの度にアメ横へ行って探したりしました。

当時(今も?)アメ横には、化粧品屋さんがやたらと多かったのです。
ただその時にアメ横で仕入れた情報は、
「もう作って無いはずだよ」との淋しいもの。

それからも競馬ボマードへの想いは消える事無く、
最近ではネットなど使って情報を集めて居たのですが、
ほとんど写真すら見つからず、自分の中では幻の存在となっていました。

ところが去年の4/13に、マックショウの日比谷公演に行った次の日の事。
原宿のeSさんを訪れると、ショーケースの中に、懐かしいポマードが並び、
その中にあの黄色いフタの小さな瓶を発見します!!

なんとこれが、28年振りの競馬ポマードとの再会でした。
話によると、eSの田中さんは、製造中止を知った時に箱で買い占めたものの、
欲しい人に譲ったりして居た結果、飾ってあるのが唯一残っている物だとの事。

売り物だったら迷わず買う所でしたが、それは叶いませんでした。
それからもオークション中心に探し続けますが、一度出て来るものの、
法外な価格に吊り上がり、やむなく断念。

それがやっと今週、程度も良く、中味も残った、
妥当な価格(即決設定)と思える物に巡り会い、迷わず落札!!
それが昨日届いた、写真の競馬ポマードです。

瓶の容器は、ポマードの保管に最適で、
色こそ記憶のものより薄く感じるものの、香りは当時と全く変わらず、
一瞬にして気持はあの時の、恐いお兄ちゃんの2階の部屋へ。

こんな物に何千円も払うなんて、普通の人には絶対に理解出来ないでしょうが、
俺にとっては本当に大切な想い出の品で、ずっと一心に探して来たのです。
下らない事ですが、30年もの思いがやっと叶って大満足です(笑)
1996年のブレス
ジェームス・ディ−ンに憧れて
15の時に本格的にリーゼントを始めてもう25年。
ずっと本物のロックンロールを追い求めてる。

きっと性格なんだろうけど、
ずっと気持ちは冷めないままで
バカの一つ覚えで、毎日リーゼントにクシを入れています。

自分的にはあっという間で、
その間就職したり結婚したり子供が生まれたり
色々な出来事は有ったけど、基本的に15の頃から気持ちは変わって無いんだよね。

でもここまで来る間には忘れてはならない人との出会いが
幾つかありました。
一番大きかったのは同級生の「周ちゃん」との出会いです。
彼が居なければ今の自分は無かったと断言出来ます。

その辺りはまたいつか、「昔話」の続編として書こうと思いますが
今から10年程前にも大きな出会いが有りました。
それは中津川に初めて「ブレス」と言うライブハウスが出来た1996年の事です。

ブレスは元々バーで、その頃からたまに行っていたのですが、
同じ会社の細江君がオールディーズのバンドを作ったので
オープン当初から通う事になります。

そしてその年末、細江君からあるライブを紹介されました。
何とロカビリーをやるバンドが居ると言うのです。
高校の頃からロックンロール一本で来た俺ですが
当時までに15年間、そんな奴に中津川で出会った事は有りません。

自分自身名古屋のチームに所属したりしてたので
中津川にロカビリーをやる奴はおろか、好きな子が居ると言う事も信じられず
期待に胸膨らませて出掛けました。

そのバンドの名前は「JET SETS」
高校卒業間も無い位の年の子達。
しかしVo.ギターの子はブライアンばりの金髪リーゼントに
ファッションも決まってる!!

バンドはスリーピース、グレッチ、WB、スタンディングドラムの
ストレイキャッツスタイル!!

もちろん期待はしていたのですが、どうせ楽器もファッションも
間に合わせなんだろうと高を括ってましたが
文句なくカッコイイ!!

また演奏が始まってビックリ!!
ちゃんとグレッチの音で歌も上手い。
中津川でWBなんて初めて見るし、大感激。

狭いライブハウスも超満員で、
気付けば最前。狂いまくり。
あの日の衝撃は人生でも一・二という程で、未だに残っている。

終って外でTシャツを絞ると、ジャー!!
まるで濡れ雑巾の様に汗がこぼれました。
それだけ汗をかいたのも今までで一番だな(笑)

とにかく心に沸き上がったのは、「嬉しい」って感情。
その日はそのバンドの子とは話せなかったけど、
絶対に友達になりたいと思った。

…そして友達になった。

いまその友達は、夢に向かって頑張っている。
ロックンロールをただ好きなだけの俺は、夢を見る事なんて出来なかったけれど
彼は夢を掴む事が出来る。

夢の形は人それぞれだから、どんな結果が良いのかは分らない。
そこに到達する為には、当然道のりは平坦ではないだろう。
実際山有り谷有り、大きな山を登ったと思ったら、
次の瞬間深い谷底へ。

だけど心配はいらないさ。
いまは谷に堕ちていても、その場所はあの日居たブレスのステージよりもずっとずっと高い所に有る。
あたりまえか(笑)

誰より真摯に音楽を追い求めて、
誰より努力を重ねている。
ちゃんと分ってるんだから。

俺もバカだから、ひとつの事を追い求めて行く様な生き方しか出来ない。
だからいつでも信じてるんだよ。
バカでも真面目に、真摯に追い求めてりゃ、いつかは届くはずだって。

音楽って楽しいよね。
いつでも自分達が楽しんで、
その楽しい気持ちが人に伝えられるといいね。

そしてあの日俺が受けた様な衝撃を
もっと多くの人が受けられるといいよね。

全速力で走り続ける事は難しい。
たまには景色を見ながらゆっくり歩く事が有ってもいいよ。
まあ、俺なんか歩き過ぎだけどな〜(笑)

…うまく伝えられるか分らないけど、
ちょっとばかし元気を無くした、
遠くに住んでる、俺の大事な友達へ。
酔ってるので
久しぶりにロックンロールの話しでも。

その後高校に進んだのだが、
やんちゃ組出身でも、ヤンキーとは一線を引きたい様な、
アイデンティティの確立の一歩手前な感じでした。

だって当時のヤンキーの定番頭のアフロみたいなの、
全然かっこいいと思わなかったんだもん。
当然それをサイドだけポマードで固めた「銀蠅頭」も然り。

それで入学当初は髪も伸びて真中で分けて
近藤真彦みたいな髪型をしてました。
だって女の子には受けたんだもん(笑)。

高校では陸上部というハードでストイックな競技を始め
同時にタバコも止めます(笑)
思えばこの陸上部への入部が、
後の生き方を決めるきっかけのひとつとなったのです。。

高校に上がる春休みに
初めて自分のお金で買ったLPレコードは、
ブレインウオッシュバンドでした。

このアルバムは名曲揃いで、ロックンロール色も強く
かなり影響を受けた一枚です。
2ndも買いましたが、こちらは何故か気に入らず、
後に金に困った時に売ってしまいました。

次に買ったのはルースターズの1st
その後ルースターズは3rdまで聴きました。
あと人気の有ったのがARBとMODSかな。
それぞれ3枚目か4枚目まで聴いてました。

しかし!ここで衝撃的な出会いを経験します。
それはとあるリッチな同級生から借りた2枚のLP。
初めて聴く「洋楽」でした。

1枚はヴァン・ヘイレン
これは針を落した瞬間!!

…アカン。何これ?
結局通して聴く事もなく、返す事になります(笑)。

時は1981年
果たしてその衝撃の出会いとは?





ス・ト・レ・イ・キャッツですよ。

1曲目のラナウェイボーイ
それまで聴いた事のないウッドベースの
ブンブンブンブンブンブンブブン…って音!!

もう全身トリハダですわ。

明らかにそれまで聴いていた
自分が「ロックンロール」だと思っていた歌とは
異質で、カッコイイ。
またジャケットのあの派手なリーゼント!!
これこれ!やっぱこういうのだよ!!(笑)
ダセエヤンキー頭とは全然違ってたんだよね。

まだその頃ネオロカなんて呼び方は無かった。
ただこれがロカビリーなんだ!って思ってたなー。
当時一番気に入ってたのはジニー・ジニー・ジニー
当然オリジナル曲だって思い込んでいたのだが、
その勘違いも、後に深くこの世界にハマるきっかけだったのかも。

そして高一の夏休み
おこずかいをためて買った1000Wのドライヤとコテ(笑)を使い、
下手クソながら、リーゼントへの第一歩を踏み出したのだった。

まだクリームソーダとも出会って無い、15才の夏。

その頃着てた服
やっぱファッションについても語らなきゃね。
そんな大層なモノじゃないんだけど、
音楽・髪型・ファッションは一体の物だからね。

もっと時代は溯るけど、俺達が小学生の頃、
ジーンズやGジャンが流行った時が有ったんだよね。
3年生か4年生の頃かな?
俺も例に漏れず、飛びついたね。
当時はBOBSONとBIGJOHNが人気で
俺はBOBSON派だった。

あくまで記憶なんだけど
当時74年〜75年位のジーンズは、子供用でもデニムの
品質が良く、すごくきれいな色落ちをしてたんだよ。
丁度今のヴィンテージレプリカの様な感じ?
膝や肘がきれいに当りがついてね〜。
ブルーもいつまでも深くて、イカしてたな〜。
あれに比べると今のLEVISのレギュラー物なんか
クソだよね。

だけどその後中学入学当時は
それほど服には興味が無く、
親が選んだノーブランドのジーンズなんか
履いていたんだよね。

でも同級生で、ちょっとやんちゃな兄貴の居る奴らは
EDWINなんか履いていて、
俺は、そいつらにダサイって言われてしまったのだった!
それが悔しくてね〜。
すぐに買ったね。"LEE"を。
まだその頃はLEVISは高嶺の花だった。
ランク的にはLEVISが最高で、次にLEE、ラングラー、
それから少し落ちてEDWINみたいな感じだった。

「あ、お前EDWINなの?ダサくない?」って
見返してやりました(笑)。

その後中2の頃には、EDWINやBOBSONなんかから
"2タックボンタン"ジーンズなんて、
今じゃ信じられないアイテムがリリースされていた。
やんちゃ仲間じゃ結構履いてる奴は居たけど、
俺は全然かっこいいって思わなかったね。
その頃飛びつかなくて正解だった。
俺の経歴に汚点を残す所だったよ(爆)。

しかし…
何でEDWINはあんなの作ったんだろ?
ブラピも知ったら、CM降りるよ(笑)




ロックンロールって、何だ?
続きね。

当時(中2〜中3にかけて)
聴いていたのは、
ルースターズ
シャネルズ
アナーキー
ロッカーズ
シーナ&ロケット
ハウンドドッグ
RCサクセション
そして何と言っても矢沢永吉
そして何故かYMOなど…

思えばめんたいロック最盛期だったんだね。
主に友達がレコードを持っていて、
それを借りたり、ラジオの音楽番組から録音したり
そうやって聴いていたんだ。

そしてロックンロールという言葉は
すごく軽く使われていて、
SEXとRock\'n\'Rollというのは
落書きの定番みたいな感じだった(笑)。
族なんかも黄金時代だったし、
校内暴力って言葉が生まれた時代でもあった。

髪型は、当時俺は野球部だったので角刈りで、
少し伸びて来るとポマードでサイドをなでつけたりして、
憧れのジェームス・ディーンに少しでも近付ける様
涙ぐましい努力をしていたのだった(笑)。

しかしそんな音楽を聴いていながら、
ロックンロールってなんだろうって疑問を感じていた。
バンドで、ギターとベースとドラムがいればロックンロール?

じゃそれならロックアレンジのアイドルの曲も
ロックンロールと呼んでいいのか…?
沢田研二や世良公則&ツイストもロックンロール???
(どちらも好きだけど)

この疑問は、高校に進み、ある本と出会うまで
持ち続ける事となる。
独り飲み
今日はカミさんと子供達が実家に帰って留守。
以前だったらこんな日は、
知り合いの居酒屋〜黒猫バーへと
独り飲みのハシゴのパターンなんだけど、
飲酒(運転)が厳しくなってからは出かけるのがおっくうに
なってしまいました。

なので、今日は部屋でPCを開きながら独り飲みです。
しかも結構酔ってます(笑)。


なーんかロックンロールを語りたい気分だね。
どこから話そうか。
これは長くなるよ。
なんと言っても俺の人生そのものだからね。

まずは何と言ってもアレだね。

ジェームス・ディーンだよ!!

中2の時だったね。パネルのポスターを買ったんだよ。
当時よく売ってたんだよね。

「理由なき反抗」の、スイングトップにLEEのジーンズ
レンガの壁の前でポーズをキメてるアレね。

白黒写真で、最初はトップが赤だって知らなかったな。
とにかくあの髪型にヤラレたね。
まずあの髪型をキメたいと思ったんだよね。
折しも当時は「グリース」や「ワンダラーズ」などが
公開された頃で、栄光の80sの入口に居たんだね。
俺達は田舎の中学生で、そんな事全然気づいてなかったんだ…。

とりあえず第一回はここまで、かな?
全然ロックンロールじゃないって?
まあ、また酔った時をお楽しみって事で。

えっ?
今?
独りでキャロルのラストライブを見てるよ。
バカだな〜(笑)。
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