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Rock 'n' Roll
俺の昭和バイク史13〜ナナハン初体験編
ずっと
ご無沙汰になってる昭和バイク史。
そろそろ完成させなくちゃいけませんね(汗)

浪人生として、原付(RX50)で腕を
磨く日々でしたが、当時就職したり、
大学へ行ったりしていた仲間や、
高校時代の同級生が乗ってたバイクは、
Z400LTD, Z400GP, XJ400D, RZ250, CBR400F
などでした。

いくつかは無免許で借りて、
少しだけ運転させてもらったりした事もあります。

しかし大切な自分のRXを、他人に貸して目の前でコケられ、
幸い大事に至らなかったものの、本当に悲しい気持ちを味わった俺は、
他人のバイクを借りる事に、もの凄く抵抗がありました。

そのため、未だに他人にはバイクを貸さないし、
試乗や点検など、必要の有る時以外は、
他人のバイクを借りて乗る事はほとんどありません。

なので30年間バイクに乗り続けていますが、
9割9分は自分のバイクしか乗った事が無いのです。
その意味では、実はバイクの事はまるで知らないのと同じです。


同級生で、俺にロカビリーやロックンロールを
教えてくれた相棒の「周ちゃん」は高校を出て就職し、
一歩先にバイクライフを楽しんでいました。

実は仕事でもバイクに乗る仕事だったため、たしか中型免許も
会社が取らせてくれたんだったと記憶しています。

今まで何度か話題に出て来た、二輪免許の「限定解除」。
当時の岐阜県は、3ナイ県としても全国有数の厳しさで、
限定解除に関しても北海道と岐阜が1・2を争うと言われるほど、
難しいとされていました。

ただでさえ合格率は1%と言われる限定解除。
当時既にバイク屋には出入りしていましたが、周りの先輩にも、
限定解除で大型バイクに乗っている人は皆無でした。

そんな中、当時多治見市に住んでいた周ちゃんと久し振りに会い、
実は関市に限定解除に特化した二輪の教習所が有り、
職場の先輩と一緒に通い始めたんだ、と聞いた時は驚きました。

何故なら彼がそこまでバイクに熱を入れているとは思って無かった
というのも有りますが、ようやく岐阜県にもそんな施設が出来た事を知り、
自分の夢が大きく近づいた気がしたからです。

もちろんもの凄く興味が有ったので、早速教習に通う彼に連れて行ってもらい、
その学校を見学に行きました。

関市の坂祝という山あいにある、中日本自動車短大がサイドビジネス的に
始めた、バイク専門の未認可の練習場。
小型から大型まで、一発試験のための実技講習を専門とした学校でした。

教習車に使われていたのはCB750FCを中心として、
CB750FIIと、CBX750ホライゾン、そしてZ750Four。
そして中型はホークIIでした。

学校と言っても未認可で、おおらかな雰囲気があり、
俺が見学にいくと「ちょっと乗ってみる?」とCB750FCを渡され、
先生の先導で、コースを20分ほど走らせてくれました。

もちろん俺は当時、原付免許しか持っておらず、
中型バイクさえ、そんなに長い時間乗った事はありませんでしたが、
ナメられちゃいけないと、必死にCBを操りました。

今では想像も付きませんが、車体の重さを支えるため、
走りながら両腕がパンパンになってメゲそうだった事を覚えています。
これが記念すべき、自分のナナハン初体験となります。

バイクを降りて実は原付しか持ってない事を話すと、
「そんな風には全く見えなかった」と先生も驚き、
そう言われた事が誇らしく、嬉しかった事を良く覚えています。

この学校の合格者一覧も見せて貰い、20回以上受けている人も居ましたが、
割と1ケタ台で合格している生徒さんも多く、
この学校に通えば、限定解除が夢じゃない事ははっきりと分りました。

「ウチは中免も教えてるから是非来てよ」と誘われましたが、
その時は、春になったら地元の実地免除の認定校に通って
中型免許を取るんだと考えていました。

ITツーリング?
これ書いてるのは、
もうお彼岸も過ぎた9月後半なんですが、
9/7,8と泊まりでツーリングに行って来ました。

特になんて事の無いツーリングだったのですが、
iPhoneを持って初めての宿泊ツーリングと言う事で、
今までとは色々変わった事がありましたので、
その辺りを記録に残して置こうと思います。

Y.O.Rという、近所のバイク乗りで作る
ツーリング同好会の様な組織がありまして、
数年前から年一の宿泊ツーリングが恒例化しています。

今まで北陸方面のみだった目的地は、今回は静岡県沼津市。
海無し県の岐阜県人としては、やはり旅行に行くなら
新鮮な魚が美味しい海の近くに行きたい訳です。

今回の参加者は9名でしたが、全線高速で行きたいハーレー組4名と
下道を使いたい旧車組5名とで別れて、別々に出発となりました。

旧車組は俺の黒Z、CB750K1、Z1、Z2、CB750FCの5台です。
両日とも、週間予報発表時には雨の予報でしたが、
晴れ男の俺としては絶対に晴れると思っていました。

果たして土曜日当日は曇っているものの雨の気配は無し。
少し肌寒い朝6時半に中津川を出発し、R257に爆音を轟かせながら
2度ほど休憩を挟み、浜松インターから新東名に入ります。

当初は全線下道の予定でいましたが、浜松市内を抜けるには
信号が多過ぎ、仲間のバイクの熱ダレの心配が有ったので、
焼津(掛川岡部)まで高速を使う事にしたのです。

焼津からはR150を海沿いに進み、世界遺産に登録された三保の松原へ。
この頃には天気は快晴だったものの、空気が湿っていたため
富士山は全く姿を見せず、残念。

その後はR1を海沿いに進み、お昼は、いまや静岡名物となった
「さわやかハンバーグ」の富士錦店へ。
この日は創業価格フェアという事で40分ほど待たされましたが、
待った甲斐がありました。

ハンバーグの常識を覆す、とびきりの旨さ。
静岡県民はこんなに美味しい物がすぐに食べられるとは羨ましい!!
これは是非、機会があれば、食べて見る事をお薦めします。

その後はR1を逸れ、海沿いの県道380号を進んで沼津市内へ。
信号待ちの度にiPhoneのマップを確認し、ホテルに到着。
昔は地図を持ってツーリングに出た物ですが、今はスマホがあれば
専用のナビもほとんど必要ないと思われます。

ホテルでハーレー組と合流し、夜は駅前の「さかなや道場」にて海の幸を満喫。
その後親友の村野君と合流し、ショットバーでしっぽり。

明くる日は朝から雨の予報でした。
帰るルートとしては新東名・東名・中央道の3ルートがあります。
ここでまたスマホの出番です。

雨雲レーダー(俺はヤフーの物を使用)を確認し、
どのルートが一番雨が少ないか予想します。
その結果新東名が一番少ないと判断し、雨の沼津市内を抜けて新東名へ。

果たして新東名に入ると、雨は全くありません。
中にはカッパを脱いで走るメンバーも。
浜松SAで昼食を済ませて再び走り始め、東名合流と同時に雨。

すぐに1つ目の新城PAに入ります。
ここでまた雨雲を確認すると、40分ほど待機すれば雨雲が逸れる事を確認。
屋根や木の下にバイクを避難させ、雨雲が抜けるまでまったり待機。

雨雲が行ってしまうと再び走り始め、豊川、蒲郡と雨を避けて走りますが、
岡崎を過ぎた辺りから雨雲に突入。
東名を真っ直ぐ進み、上郷SAで給油のため止まり、
ここでまた15分ほど、雨雲が行き過ぎるのを待ちます。

後は中央道で一度休憩を挟み、
最後中津川で雨雲に追いつきそうになりつつも、
何とか降られず、無事に家に到着しました。

天気予報としては、午後3時頃まで降水確率60%とかの状況下で、
実際の雨雲の動きを捉えながら、雨を避けてのツーリング。
結局トータルで30分ほどしか雨の中を走ってませんし、
バイクもほとんど汚れませんでした。

終日雨雲が消えない様な天気ではどうしようもないですが、
止まない雨は普通はありません。

風に乗って雨雲が流れてるなら、
こんな方法で雨雲を避けて走る事が可能になった訳です。

是非とも、いい加減でアテにならない天気予報ではなく、
ピンポイントで雨雲の位置を捉えながら走ってみて下さい。
それがきっと安全にも繋がるはずだと思います。

俺の昭和バイク史12〜原付バイクとRX50編
ライブも
一段落つきましたので、819(バイク)の日を記念して、たまにはバイクの話題でも。


高校を卒業して、すぐにバイクの免許!!
と思っていましたが、現実は、原付免許を取るのが精一杯でした。

というのも、非常に個人的な話しですが、東京のデザイン学校へ進みたい自分と、近県の大学に進学させたい親(しかも国立)とのギャップで一波乱あり、止むを得ず、1年間の浪人生活を送る事になったせいです。

不本意ではありましたが、1年間は勉強に集中し、
バイクに関しては、原付を極める事にしました。

当時は原付と言えども、7馬力以上のフルパワーの時代。
最高速が100km/hを越えてしまう過激な原付で、
更にノーヘルでOKという、良い(危険な?)時代でした。

ちなみに84年に、新車の原付には60km/hのリミッターが装備され、
86年にはヘルメット着用義務化が施行される事になります。

ともあれ、ひとまずは叔父に借りた、"スズキユーディーミニ"に乗りながら、
春休みに土方のバイトで稼いだ5万円を元手に、
クラッチの付いた、スポーツタイプの原付を探し始めました。

一番興味を引いたのは、当時発売されたばかりの"ホンダTLM50"
当然中型から、大型へのステップアップが念頭に有ったので、
バイクの腕を磨くなら「トライアル」が一番だろうと思ったのです。

しかしTLM50は新車で19万円ほど。
とても手の届く物ではありませんでした。

スポーツタイプで一番欲しかったのは、やはり「男カワサキ」の"AR50"。
しかし当時は市内はおろか県下にもカワサキ店は少なく、
とても地元では、中古のタマは見つかるはずもありません。

当時はネットは無く、中古バイク専門誌も無い時代。
中津川・恵那近辺のバイク屋や自転車屋をコツコツ探すか、
瑞浪市に有った「ヤマハオートセンター」(現レッドバロン)を見に行くか、
後は雑誌の売買欄位しか、中古車の情報源はありませんでした。

他にも当時最速だった"ヤマハRZ50"や"スズキRG50ガンマ"などの
水冷バイクは、雑誌で調べる限り、相場は10万越え。

当時5万円の予算で買えそうな、速いスポーツタイプのバイクは、
"ホンダMB50""ヤマハRD50""スズキRG50E"辺りの、
70年代の流れを汲む、空冷2サイクルのバイクに限られました。

雑誌を見ては電話し、結局予算と希望の折り合う良いバイクが見つからず、
最終的には「クラッチが付いてれば何でもいいや」となった時に現れたのは、
高校を卒業して、いち早く"CBX400F"に乗っていたツレの、親父さんが持っていた、
"ヤマハRX50スペシャル"という、アメリカンタイプのバイクでした。

元々"カワサキZ400LTD"というアメリカンバイクが、
バイクを好きになるきっかけとなった俺ですが、正直その頃には、
「アメリカン」に魅力を感じてなかったのは事実です。

しかしRX50は、原付にしては大柄で、RD50を越えるほどの
強力な7馬力のエンジンを持ち、充分スポーツタイプのバイクにも
負けない速さを持ったバイクだったのでした。

しかも提示された金額は2万円。走行距離は2万キロを越えていましたが、
充分調子が良い事は分っていたので、ありがたく譲り受ける事としました。
おまけに残った予算で、念願のWの革ジャンを買う事も出来たのです。

自分に取って生涯初となるバイク。
通学に、遊びに、峠に、ツーリングに、本当に大好きで、
乗らない日はありませんでした。

今までこのコーナーで紹介して来た、色んな夢のバイクは有りましたが、
本当にバイクの楽しさ、素晴らしさを教えてくれたのは、
このRX50を置いて他にはありません。

バイクに夢中になり過ぎて「俺の人生、バイクに乗れれば充分幸せだな」
という境地に達し、勉強がおろそかになり、明くる年も受験に失敗し、
結局名古屋のデザイン学校に通う事になったのは、当然の成り行きでしょう。

もちろん全く後悔はしていませんが(笑)


そんな大好きだったRX50なのですが、、

実は未だに手放さず、持っているのです(笑)
ずっと税金も払い続け、ナンバーも維持しています。

ただ、やはりデカいバイクに乗る様になった事と、車に乗る様になった事が大きく、
乗る事は無くなり、ガレージの奥に眠っている間に、サビサビになってしまいました。
エンジンはすぐにでも掛かるはずですが、すぐに走れる状態ではありません。

それで、3年ほど前からレストアしようと、オークションで部品を探し始め、
少しずつ買い集めては居たのですが、昨年の11月に「不動車」という触れ込みの、
走行わずか660kmという、新車の様なRX50が、まるごと一台現れました。

RX50は、走れる物なら、ボロくても5万円くらいが相場です。
それは不動とは言え、写真で見る限りとても綺麗で、5万以上の価値がありそうでした。
で、試しに入札してみたところ、なんと17,000円で落札出来てしまいました。

仲間に軽トラを借りて小牧まで引き取りに行きまして、冬の間はそのまま放置。
今年の春、暖かくなってから、ブレーキ、ガソリンタンク、キャブレターの
オーバーホールを行った所、予想通りRX50は息を吹き返し、晴れてナンバーも取得。

今では気軽に乗れるこのバイクが凄くお気に入りで、
毎日とは言いませんが、会社から帰ってからの短い間にも、
ちょくちょく乗っています。

9,000回転全開で、あの頃のまま、2サイクルサウンドを響かせて走るのは、
今では自分に取って、一番のストレス解消となっています。

思えば今年は、バイクに乗り始めて29年目となりますが、
無茶も、事故もしつつも、飽きずに乗り続けて来れたのは、
常に全開で走らせられる、RX50からキャリアが始まったお陰かもしれません。

小さなバイクを、どうやったら速く走らせれるか?
それはやはり腕を磨かないと、非常に難しい問題で、
1年間みっちり走った経験が、ずっと身に付いて残ってる気がするのです。

今は最初から大型免許を取り、いきなりハーレーという人も多いと思いますが、
80ccくらいのミニバイクを速く走らせる事を練習すると、
また違ったバイクの魅力が発見出来る気がします。

未だに魅力が色褪せない、ヤマハRX50スペシャル。
ヤマハならではのデザインの良さに、ひとつひとつの部品のクオリティの高さ。
これは文句無く、昭和の名車のひとつでしょう。

俺の昭和バイク史11〜750RS編その2
妄想の中で
オートバイを転がしまくっていた
高校2年生、17才の冬。

後の俺のオートバイ人生に
決定的な影響を与えた
一冊の本と出会います。

それが1982年12月発行の、
「ロードライダー1983年1月号」
(写真)です。

今でこそ、バイク雑誌はある程度の
発行部数が見込めるせいか、定期的にZ1/Z2
特集を組み、年間様々なZ特集号が発行されます。

しかし新型車花盛りの当時、10年以上前の、
忘れかけられたバイクを特集するなんて事は、
普通のバイク雑誌では、とても珍しい事だったと思います。

実際この特集の切り口も、ちょうどZ2発売から10年目の新型車、
Z750GPのルーツを掘り下げる形で、Z2からFXシリーズ、
そしてGPへと繋がる系譜を辿っていました。

当時のヨーロピアンタイプのバイクの一番人気は
何と言ってもCB-Fで、カタナなどのリリースも始まり、
直線的で角っぽいデザインが主流でした。

カワサキにしてもFXやGPなどの「角」のイメージが強く、
「男・カワサキ」のイメージに対して、Z2というのは
丸っこく女性的で、カッコいいとは思っていませんでしたが、
この本で初めてカラーで見た、火の玉タンクの印象が鮮烈で、
そのエレガントな装いに、一瞬で虜になってしまいました。

80年代頃は、バイクのタンクのカラーリングは、
ソリッドカラーにラインが入ってるのがせいぜいでしたが、
Z2のそれは、タンクの曲面を生かした有機的なラインを持ち、
上品な色合いのツートンカラーの存在感が圧倒的だったのです。

しかもそれが10年前にリリースされていたという事実が
自分には大きな衝撃で、バイクの性能云々以前に、
そのカラーリングにすっかりヤラれてしまったのです。

しかもこの本は、その内容が素晴らしかった。

Z2とひと言で表しても、
1973年の 750RS Z2
1974年と75年の 750RS Z2-A
1976年の Z750Four A4とA5
1977年の Z750Four D1の5モデルがあり、
更に角タンクを載せた1979年の Z750FX D2とD3までの7モデルが、
同フレーム・エンジンを使用したシリーズとして数えられるのですが、
そうしたZ2の熟成の系譜が、素人にも分かりやすく説明されていました。

加えて開発サイドの稲村氏に、販売サイドの種子島氏、
そしてデザインサイドの多田氏に、清原氏・徳野氏といったテストライダー、
更には当時プレスライダーとして、仕事としてZ2に乗っていた人たちの
貴重な生の証言が多数掲載されており、美点やウィークポイントなど、
それこそ暗記するほど、繰り返し夢中で読み返しました。

他にも、情報が溢れている今となっても貴重と思われる
Z2開発ストーリーや、個々のパーツの造形におけるこぼれ話しなど、
この一冊で、すっかりZ2というバイクに心を奪われてしまったのです。

思えばZ2を"ゼッツー"と読むと言う事も、この本で知ったと思います。

当時は登録から10年経つと、車検が1年毎となり、
普通の人たちは、どんどん古いオートバイを処分していた頃です。
まだまだ「あいつとララバイ」などは人気が無く(この頃は存在すら知らず)、
Zの中古価格は、底値の時代です。

前時代的なスポークホイールに、シンプルなシングルディスクブレーキ、
集合流行りの世の中にあって、古臭いメッキの4本マフラーというのも、
どんどん華美になっていく400マルチに食傷気味になっていた
自分の価値観にも良くマッチしたのだと思います。

夢のCBXには、すぐには手が届かないだろうと考えた俺は、
この時には、高校を卒業したらバイクの免許を取り、限定解除を果たして、
Z2(もちろんRS)に乗るんだと、固く心に決めていました。

俺の昭和バイク史10〜中型バイク編
ライブも一息付きましたので、
久し振りにシリーズものの続きなど。

中学2年の時にカワサキのZ400LTDが
切っ掛けでバイクが好きになり、
S木という悪友と知り合いました。

2人とも憧れはビッグバイクでしたが、
現実的な話しになると、やはり中型
バイクの話題となる訳です。

俺はあくまでアメリカンのLTDが好きだった
訳ですが、S木はヨーロピアンタイプの、
走り屋系のバイクを好んでいました。

だから会話では「アメリカンなんかダサいぜ。
TERAもFXやXJの方が渋いって」みたいに、
乗ってもいないのに妄想しまくりでした。

そんな時Z400LTD-IIという、Z400FXの4気筒
エンジンを積んだLTDの新タイプがリリースされ、
俺も意地になって「これならFXとエンジンが
一緒だから速いぜ」なんて応酬していました。


81年4月に高校入学。
その前後から、中型マルチブームが始まります。

79年のZ400FXで先鞭を付けたカワサキを、80年に
ヤマハがXJ400Eで追いかけると、81年4月には
スズキが4バルブヘッドのGSX400Fを発表。

更に同時にヤマハは4本マフラーのXJ400Dを
発表するなど、一気に高品質で、魅力的な
中型DOHCマルチ市場が出来上がりました。

S木とは別の高校でしたが、お互い一応進学校で、
3ナイ運動で、バイクの免許は夢物語でした。

そんな頃、早々にドロップアウトしたツレ達が
XJ400やGSX400Fに跨がり、鬼絞りのハンドルで、
集合の音を高らかに響かせ、我々の目の前を駆け抜ける姿を、
憧れの眼差しで追っていたのは言うまでもありません。

「400なら4気筒より2気筒の方が速い」と、
スーパーホークIIIで、独自の立場を貫いていたホンダでしたが、
とうとう81年11月に待望のDOHCマルチのCBX400Fをリリースし、
一気に他の3メーカーを抜き去り、トップに躍り出ました。

CBX400Fは確かにもの凄い衝撃でしたが、CBX(1000)を
絶対とする俺はそのネーミングが気に食わず、
最初から反感を感じていました。

3メーカーの逆襲に遭いながらも、毎年独自にZ400FXを
熟成させていたカワサキでしたが、明けて82年の3月に、
満を持して、新型マルチを発表する事になります。

それがZ400GPで、Z1300譲りの角型ヘッドライト、
タンクからサイドカバー、テールカウルまで流れる様に繋がる
ラインが美しく、一気に乗りたいバイクNo.1に躍り出ました。
(ちなみにFXの最終がグランプリスペシャルだったので
当時俺は、GP=グランプリと呼んでいました。)

そんな大好きなZ400GPでしたが、わずか1年後には
GPz400へとモデルチェンジ。この頃から過激過ぎる
開発競争に「?」マークを感じ始めました。

周りにバイクの話しが通じる仲間はごく少なかったですが、
4バルブじゃないとダメだの、トリプルディスクがどうだの、
馬力がどんだけだの、セパハン・バックステップ・集合の3種の神器だの、
スペック重視の妄想には、いい加減食傷気味になって来ました。

とうとうスズキがGSX400FSインパルスをリリースするに至っては、
「違法改造」の象徴だった集合マフラーが純正で装着される姿を見て、
この先どこまで行くのか?と不安を感じずにはいられませんでした。

事実その後の中型マルチは、83年には水冷化され、
84年にはレーサーレプリカブームが始まり、
どんどんと後戻りの出来ない過激な領域へと進みます。


実際にオートバイに乗る前に、妄想の中でオートバイを
もっと本質的に楽しめることを求め始めて行き着いた車種は、
シンプルな2気筒エンジンの、スズキのGSX400E KATANAでした。

刀ゆずりのエッジが効いたタンクの造形が好きで、
斜めに入るSUZUKIのロゴがカッコ良く見えたのです。

いつしか妄想の中では、完全ノーマルの赤いGSX400Eで、
美ヶ原高原のワインディングを駆け巡る様になっていました。

日本海ひとり旅〜2年振りの宿泊ツーリング
二日目の朝は
良く晴れていました。

しかし夜がメインの人たちは
朝の始動が遅く、9時出発との事。

走り系の仲間のちゅうちゃんは
朝5時半からひとっ走り出掛けます。

俺もその時間には起きていたのですが、
ホテルの朝食が7時からなので、
食べるなら戻って来なきゃなりません。

この日は、晴れたら9時にホテルを
出発して、8号線の道の駅「能生」に寄って
みやげを買って帰るという予定でした。

それなら7時すぐに朝食を済ませ、
先に出発して時間一杯走り、能生で合流すれば、
ホテルには戻らなくても済む訳です。

そんな訳で、朝食を一番に済ませ、
7時20分にひとりで出発です。

高田城趾に寄った後、8号線に向けて爆走。
郷津トンネルを抜けて、まずは付近に旧道の痕跡が
無いかを探索しますが、それらしきものは見つからず。

代わりに良い雰囲気の海水浴場を見つけ、
25年振りに、そこで愛車と記念写真を撮り、
その後8号線を延々西に向かって走ります。

この辺りの8号線は、完全に海沿いになり、
平行してJRの鉄道も走っている雰囲気の良い道で、
今まで走った中でも、三指に入る気持ちのよい道です。

免許取り立ての27年前にもこの道を走り、
この先の親不知の険しさに、随分てこずった記憶が有ります。

出来れば、今同じ道を走ったらどう感じるのか?
上手くなってるのか?そうでもないのか?

それを是非確かめたかったのですが、
9時半に能生に戻る為には、糸魚川市で時間切れ。

結果的には皆と能生で合流出来たのは、10時だったので、
もう15分先まで走ってたら親不知まで行けたかもしれません。
少々残念な思いの残る結果でした。

しかし来た道を戻るのは、当然ながら海に近い車線となる訳で、更に絶景。
青い空に青い海。そしてひなびた漁港の風景。
走りながら「本当に来て良かったな〜」とひとりで満足していました。

この日は夜6時から地元で、仲間の結婚パーティーに出る事になっており、
シャワーを浴びたり頭を作り直したりすることを考えると、
出来れば4時には帰りたいところでした。

しかも皆は全線高速で帰るつもりの様でしたが、
俺は塩尻から19号で帰りたいと思っていました。
皆のペースではいつ帰れるか分からないし、全線高速はつまらない。

しかもみやげ物屋でかなり長い時間を過ごし、なかなか腰が上がりません。
それで11時に一旦みんなと能生の道の駅を出発しますが、
結局高速の入口で先に帰ると言い残し、ひとりで走り始めました。

北陸道から上信越道、更に長野道をひたすら進み、
梓川SAまでノンストップで走って給油。
すぐに走り出し、13時に塩尻インターを降ります。

そこからの19号は、それこそ懐かしい思い出の山ほどある道です。
親父が元気だった頃、家族で蕗(ふき)取りに来た事や、
子供達が小さな頃、電車で奈良井宿を訪れた事。

更に今回の旅行では子供におみやげを買う事も無く、
そういうおみやげも喜ばない大人になりつつある子供達の事を思い、
すごく懐かしくて、寂しくて、過ぎ去ったかけがえの無い時間が愛おしくて、
胸を一杯にしながら、ひとりで走りました。

この道は、俺にとっては正にセンチメンタル・ロードなのです。

そんな貴重な感覚を感じつつ、15時26分自宅着。
総走行距離は680kmでした。

ちなみに皆の帰ったのは17時半だったので、
風呂を済ませ、充分休んでからパーティーに出掛けられた俺としては、
皆には申し訳ないですが、ひとりで帰って来て正解でした。
素敵トンネルを探して〜2年振りの宿泊ツーリング
昨年は知らないうちに
決まっていたというか、
誘われなかったというか、
2年振りのYOR宿泊ツーリングに参加しました。

今回の行き先は新潟県上越市の高田。
このコースは、俺が27年前に中免を取って
一週間後に初めて行ったコースに近い。

当時は長野道も上信越道も、日本海沿いの北陸道も
まだ開通前で、3日間で1000km以上の道のりを、
延々下道を走って帰って来ました。

美しい野尻湖、上越で8号線に合流して
初めてのトンネルを抜けた時の海の印象が
もの凄く強く、同じコースを2年後(25年前)には
RSで走り、野尻湖にはその後3回も訪れました。

今回の参加者は14人と多かったのですが、
そのうち4名は午前中仕事が有ったため、
最初は10名での出発となりました。

9時出発で、まずは中津川インターから
松本インターまで高速を走り、
そこから19号を長野市に向けて走ります。

松本から長野までのダム湖沿いの道は、
ところどころ新しいトンネルが出来たり、
新しい道に変わっていたりで、昔走った道とは
変わっていたけれど、懐かしい道と風景に、
初めてバイクに乗った頃の感動が蘇りました。

長野市から18号に入り、渋滞の市街地を抜けると
両側に赤く色づき始めた実がたわわに実った
りんご園が続くアップルライン。

それを抜けると、黒姫山に登る、気持ちの良い
ワインディングのはずが、大型トラックに阻まれ、
途中の登坂車線からやっと気持ち良く走れました。

野尻湖の入口もすっかり道が変わっていましたが、
約20年振りの野尻湖は、変わらず美しく、静かで、
心を癒してくれました。なぜ野尻湖が好きなのかは、
高校時代の友人なら分かると思います(笑)

この日は後追いの4人の到着が遅れる事も有り、
我々は宿泊地の高田を越えて、日本海に出て、
最初の道の駅まで行って引き返す予定でした。

しかしここで出発しようとすると、半分の5台が、
一旦ホテルに入ってゆっくりしたいと言い始め、
なかなか腰が上がりません。

この日の天気予報は、6時位から雨。
明日の天気は明日にならなきゃ分かりません。
次の日が雨なら、わざわざ濡れてまで日本海に出ないでしょう。

経験上、腰を落ち着けてしまったら
走る気にならないものです。
しかもゆっくりしてたら、雨になります。

この時点ではまだ晴れていたため、
俺はこの日のうちに、日本海沿いの8号線を走りたかった。
27年振りに、どうしても確かめたい事が有ったのです。

やむを得ず、ここからは5台のみで、
ペースを上げて、日本海を目指しました。
そこには俺の、夢にまで見た、素敵トンネルがあるはずなのです。

その素敵トンネルは、海に向かって下りになっていて、
走って行くと、トンネルの先の半円形が真っ青に見えて来ます。
それが空かと思ってトンネルを抜けた時に初めて、
それが海の青さだったと気付くのです。

長野から、ここで初めて海にアクセスする事も有り、
その感動は27年経っても全く色褪せていません。

ただ、俺の27年前の印象では、18号を走って来て、
そのトンネルを抜けると、8号線の交差点が有った
気がするのですが、地図上そんな場所はありません。

地図で見ると、角度的に8号線の郷津トンネルが
その条件に近いのですが、果たしてそれが正しいのか、
それを確かめる事が、今回の一番の目的だったのです。

果たして4時半頃、やっと辿り着いた郷津トンネルは、
先の半円形は、緑色(山の色)に見えてしまいました。
もちろんトンネルを抜けると、すぐ右手に日本海が広がっているのですが、
ほんの少し、角度が違うのです。

それにしてもあの素敵トンネルは、本当に夢だったのか?
それとも場所が全く違うのか?
道の角度が以前と変わってしまったのか?

27年間探していた景色には逢えず残念でした。

その日はそのまま日本海沿いの8号線を、
当初の目的地である「うみてらす名立」まで走りますが、
1kmほど手前でぽつぽつと雨が降り始め、
結局そのまま休憩せずに、高田のホテルへと引き返しました。

ホテルまでは30分ほど。
走行中はぽつぽつ雨でしたが、ホテルに到着し、
駐車場にバイクを入れた途端に雷を伴った大雨(汗)

荷物を降ろす間、雨を避ける術も無く、
頭も革ジャンもジーンズも、すぶ濡れになりましたが、
まだ走行中じゃなくてラッキーでした。

ホテルにチェックイン後、ジーンズをドライヤで乾かし、
身支度を整えていると、全線高速で来た、後追い組の4台が到着し、
その後みんなで繁華街に出て、日本海の海の幸を肴に宴会。

激しかった雨は9時頃には上がり、
宴会終了後は、俺以外の者達は、歓楽街へと消えて行きました。

俺の昭和バイク史9〜750RS
いよいよZ2の登場です。

俺が中学当時は、
暴走列島´80の頃で、族や校内暴力の全盛期。
まだ"ヤンキー"なんて言葉は地元には無かったけど、
いわゆるヤンキー文化が花盛りの頃でした。

ツレの家をたまり場にして、お決まりの
悪い遊びをするのが楽しい頃でしたが、
そのツレの高校生のお兄ちゃん達がなんちゃって
暴走族を組んでいて、可愛がって貰ってました。

岐阜は3ナイ運動が厳しく、
普通に高校に通っていたらバイクには乗れず、
せいぜい勝手に持ち出したカブやロンパルで
夜中に走るのがせいぜいでした。

もちろん高校に行かなかった人や、
ドロップアウトした人達はバイクに乗ってたのでしょうが、
俺が面識を持った先輩はひとりしかおらず、
その人はグリーンのZ2に乗っていました。

その人は自分のバイクの事を"ゼット"と呼んでおり、
俺が今日に至るまで、会話の中ではカワサキのバイクを、
なんでも"ゼット"と呼ぶのは、その影響です。

そんな感じで、身の回りにはバイクが少なかったのですが、
その理由はもうひとつ、その頃ホリデーオートの
「Oh! my 街道レーサー」が人気となり、
クルマの改造車の方が盛り上がってた事も一因かもしれません。

中津川には当時から、伝説的な物凄いクルマが多かったのです。

中学でも、ホリデーオートが盛り上がっていて、
バイクに興味の有るやつは、
ヤンキー仲間の内にも居ませんでした。

ところが他のクラスの、勉強が出来るまじめ人間と思っていた
S木という男が、ひょんな会話からバイク好きなのが分かり、
それまで全く付き合いの無かったのが、話しをする様になりました。

俺はCBXが好きでしたが、実際には限定解除は無理だと思っていました。
なぜなら当時の合格率は1%未満。年間の合格者数は少なく、
東大に入るよりも難しいと言われていたからです。

しかしS木は違ってました。
奴もドカティやビモータといったビックバイクが夢のマシンで、
「俺は絶対に限定解除をする。絶対に無理じゃ無い」と言いました。

家も近くだったので、帰りも一緒に帰る事が多かったのですが、
ある時、中津川市役所の駐輪場に、ウリ坊カラーのRS(Z2)が
停めてあるのを見つけました。

そのZ2はたまたま置かれていた訳では無く、
屋根があるため、そこを置き場にして居た様でした。
しかものどかな時代で、ハンドルロックすら無し。

ここでS木という男について説明しますが、
頭は確かに良かったのですが、真面目と思ってたのは外見だけで、
実は喧嘩がめちゃくちゃ強く、かなり破天荒な男だったのです。

大胆なS木は、その置かれているZ2を、
限定解除の事前審査の練習台にすると言い出しました。
俺はびびって止めようとしますが、
言い出したら人の言う事を聞く様な奴じゃありません。

結局俺も一緒になって、センタースタンド掛けをしたり、
駐輪場のスロープを押して上がったり、引き起こしをしたり、
今考えればめちゃくちゃな事をしていました。

何度かそんな事をする内に、持ち主も不審に思ったのか、
ある時ハンドルロックが掛けられていましたが、
S木はそのハンドルロックをも壊して、練習台としたのです。

当然それ以降、その場所でそのZ2に逢う事はありませんでした(汗)

当時の俺は、そんな風に頻繁にZ2触れていながらも、
丸くて女性的で、色が茶色(当時はそう見えた)と地味で、
また大文字のKAWASAKIのエンブレムも古臭く見えて、
全然カッコいいとは思っていませんでした。

だけど中3で、ナナハンのセンスタ掛けも、引き起こしも、
坂道を押し上げる事も出来る事が分かった俺は、
限定解除は夢では無く、この頃から確信に変わっていました。

その4年後、その自信を与えてくれたZ2を、
しかも全く同じカラーのRSを手に入れる事になるとは、
その時は想像すらしていませんでした。


※写真は当時のイメージです。
俺の昭和バイク史8〜CBX
お久しぶりです。
知らない人も多いかと思いますが「昭和バイク史」
シリーズは、不定期連載で続けておりますので、
気になった方は右の「単車」のカテゴリから
バックナンバーをチェックしてみて下さいね。

クルマやバイク好きの人なら、
誰にでも一番の憧れと言うか、衝撃というか、
「絶対神」のような存在のモノがあると思います。

俺にとっては、クルマならハコスカのGT-R。
ガキの頃から、フェラーリやポルシェといった
スーパーカーよりもスカイラインなのです。

そしてオートバイでは、カワサキZ2…
と言いたいところですが、実は違うのです。

それは1978年に発表された、RCBレーサーのノウハウを投入し、
更にインライン6という、Z1000を凌駕するインパクトを与えられた
唯一無二のモンスターマシン、HONDA CBXです!!

このCBXは1047ccですが、車名に排気量は付きません。
後にCBX400が出てから色々なバリエーションが
発生しましたが(果ては125ccまで・汗)、
後にも先にも、"CBX"と呼べるのはただひとつです。

初めて見た時の衝撃は忘れられません。
バイクに興味を持ち始め、アオシマからリリースされた
ホーク3やBMWのプラモなどを作り、ちょっとはバイクを
知ってるつもりになってた1980年、中3の夏。

今も相棒として一緒に走っているCB乗りのナオと、
自転車に乗って、当時中津川で一番賑やかだった新町通り
(ブレスのある通り/中山道)に出掛けた時の事。

今は無くなってしまったジーパン屋さんが新装開店の為
内装工事が入っていまして、その入口に、それまで見た事も無い
大きな銀色のホンダのオートバイが、センタースタンドを掛けられて、
直立して停められていました。

タンクからはみ出した巨大なエンジン、羽根の生えたテールカウル。
その姿は堂々としていて、輝いていて、あまりオートバイの種類を
知らなかった俺にも、物凄いオーラを放っているのが分かりました。

それがホンダのCBXという名前のオートバイであることは
タンクやサイドカバーのエンブレムから分かりましたが、
それがナナハン(当時国産車はナナハンが一番大きいと思っていた)なのか、
そうじゃないのか、全く知る由も有りませんでした。

当時中1だったナオは、
「これはマフラー(エキパイの事)が6本出てるから、6気筒だ」
と言いましたが、俺は、
「バカな。クルマだって6気筒は珍しいのに、バイクにそんなの有る訳ない」と、
年下のナオの主張を、素直に信じる事は出来ませんでした。
(注:エキパイの数と気筒数は一致しない場合もあります)

当時はネットも無く、調べる手段も限られていた訳ですが、
たまたま好きで定期購読していた「カスタムカー」という雑誌のイラストコーナーに、
プレリュードにCBXのエンジンを乗せたカスタムカーのイラストが載っており、
そこにエンジンスペックまで細かく書かれていました。

曰く、"1047cc・6気筒・DOHC・24バルブ・6キャブレター・103ps"
こっ、これは…!?

良く知る、愛するスカイラインGT-Rのスペックは、
2000cc・6気筒・DOHC・24バルブ・3キャブレター・160psです。

当時はまだ、日本車(クルマ)で、4バルブヘッドのDOHCを載せていたのは、
GT-Rと432Zだけでしたが、スペックだけを比べれば、
CBXの方が性能が勝っている事は容易に想像が付きました。
(CBXはリッター100馬力オーバー)

オートバイに、こんな凄いモノが有ったなんて!!

その衝撃は、日産ファンの俺としては、若干の悔しさを感じつつも、
認めざるを得ない絶対的な物で、それ以来、一番の憧れのオートバイは
CBXとなったのです。

その後、初めて買ったバイク雑誌は"モトライチャンプ"でしたが、
それはCBXと、ヤマハのXS1100などが取り上げられており、
その頃始まった「逆輸入車ブーム」を特集したものでした。

白黒の写真だったけど、穴の空く程眺めて、読んで、思いを募らせ、
挙げ句にスクラップして、クリアケースに入れて持ち歩いてました。
四角い壁の様にそそり立ったエンジンの造形が堪らなかったのです。

しかしスーパースポーツとしてのCBXの活躍期間は短く、
登場から僅か3年(実質的には2年)で、CB900FやCB1100Rに
フラッグシップの座を譲り、81年に大幅なモデルチェンジを受け、
ツアラーとして再出発します。

俺はもちろん初期モデルの方が好きだったけど、カウルが付いて
1本サスになった後期型もカッコいいと思ってました。
いつかは乗るんだから、ともかく生産されてさえいれば幸せだったのです。

だから当時Unionから出ていたCBXのプラモデルは、
初期型、後期型、それぞれアメリカ仕様とヨーロッパ仕様の
計4台を組み立てたほどで、寝ても冷めてもCBXという感じでした。

しかしそのニュースは突然でした。
82年、俺が高校2年の時に、ホンダはCBXの生産中止を発表します。
世界的に人気は高かったはずなのに、
恐らくコスト面か、構造上の問題があったのでしょう。
あの唯一無二のインライン6は、僅か5年で幻となりました。

買えるかどうか。それ以前に当時東大に受かるより難しいと言われた
限定解除が出来るかどうかも分からないのに、
高校2年だった俺の失望たるや、物凄いものがありました。

当時そんな思いを綴ってBestBikeというバイク雑誌に、
CBXのイラストを投稿して、掲載された事もあります。
冗談抜きで、泣きながら描いた記憶があります。

そんなCBXですが、当時でも中津川には3台あると言われており、
たまに見かける事がありました。

その中の一台が、中津川市落合にあり、
原付免許取り立ての18歳の時に、
ツレと家を訪ねて見せてもらった事があります。

残念ながらオーナーさんは不在で、エンジンは掛けて貰えませんでしたが、
その方のお父さんが親切にバイクを見せてくれたり、
色々お話を聞かせてくれました(そのお父さんもバイク乗りだったのです)。

おまけに跨がらせてくれたり、
試しにセンタースタンド掛けもやらせてくれ、
割と軽く上げられたので、少しだけ限定解除への自信も得ました。

そんなCBXですが、初めて出逢って衝撃を受けてから、もう33年。
実は今でも、一番の憧れはCBXなのです。
だけど、買う事はおろか、まだ一度も乗った事さえ無いのです。

CBXは昔から今に至るまで、それほど価格は高騰しておらず、
(もちろん現在ノーマルの極上車を探すのは至難の技ですが)
今までだって、後先考えずローンを組んでしまえば、買えない事は無かったはずです。

だけど、それは何か違うと思うのです。
本当に思いつめたバイクだから、もし本当に手に入れられるなら、
運命的な巡り合わせや、縁のような物が、きっと有る様な気がするのです。

どうせ手に入れるなら、一生持ち続ける価値の有る、
俺に乗られる運命のCBXに出逢いたいと思うのです。

この恋は、そうしていつまでも叶わぬまま、
一生冷める事は無いのかもしれません。
俺の昭和バイク史7〜Z400LTD
1979年。
中学2年生の時に、初めてバイクを、
自分が乗るための物として、意識しました。

しかし、俺にそう思わせる切っ掛けを与えたのは、
実車でも、バイク雑誌でもなく、
ファッション/ライフスタイル雑誌でした。

当時は既にPOPEYEといった新感覚情報誌が人気で、
洒落たライフスタイルやファッション、
アメリカ西海岸の最新トレンド情報などを
伝えていました。

ネットの無い時代。
田舎の中学生や高校生の情報源は、
そんな雑誌が全てでした。

それまで雑誌と言えば、少年ジャンプなどの
マンガ誌しか買った事の無かった俺が、
少し背伸びをしてみたくて買ったのは、
POPEYEに対抗して出版された、ホットドッグプレスの
創刊4号にあたる、1979年10月号でした。

その本には、それまで見た事も聞いた事も無かった情報が満載で、
特に初めて買ったこの号は、本当に隅から隅まで、
穴の空くほど繰り返し読みました。

そしてこの号の後半で、
「今、熱い対決! チョッパーか?コンチか?」という、
オートバイをライフスタイルとファッションの観点から
ジャンル分けをするという、画期的な特集が組まれていたのです。

チョッパーかコンチかというのは、
現在の一般的な言葉で表せば、
アメリカン(バイク)かヨーロピアン(バイク)かという事です。

たまたま編集の具合だったのか、この特集では
チョッパー派の方がカッコ良く取り上げられており、
中でも、並んでハーレーに股がる2人の男の写真は、今見てもカッコいい!!

何かアメリカンバイクに跨がってハイウェーを流せば、
どこまでも自由になれる、そんな気がして、
一発でそんなライフスタイルに憧れてしまったのでした。

そしてその特集の中に、当然の様に、国産で購入可能な
アメリカンスタイルバイクの紹介がされていました。

スズキマメタンに始まり、ホンダGL400カスタムに、
ヤマハXS650スペシャル、スズキGS400Lに、
ホンダCM125T…などなど。

思えば既に、第一期国産アメリカンブームは始まっていたのです。

その中で俺の目を捉えて離さなかったのは、
「カワサキZ400LTD」(初期のツインのやつ)でした!!

何と言っても、写真の段付きシートの気持ち良さそうな事!!
その姿は、まるでお尻を包み込まれる感触が伝わって来そうな程。
一緒に写ってる他車種とは比べ物になりませんでした。

そしてそいつに乗ってみたいと、心底思いました。
それまで車ばかりに興味が有ったのが、
初めてバイクに目覚めた瞬間でした。

もちろん当時は性能とか、速さとか、メーカーとか、馬力とか、
そんな事には全く興味がなく、
ただただ、その官能的なシートの形に惚れてしまったのです。

知識の無い当時でも、限定解除をする事がとても困難な事は
知っていましたから、400ccのバイクというのも、
夢みる対象としては、凄く現実的で、リアリティが有ったんだと思います。



ちなみに、このホットドッグプレスは、それから
高校に入ってロックンロールに出会うまで、
継続的に買い続けます。

俺がヤンキー(当時こんな言葉は無かった)仲間に囲まれながら、
ファッションやライフスタイルが、ヤンキーに
染まる事が無かったのは、結局この本の影響が大きかったのでしょう。


※写真上はホットドッグプレス1979年10月号。
下がそれに載っていたZ400LTDの写真。
この文章を書くために、オークションで再び手に入れました(笑)
興味ある方にはお見せしますよ。

復帰ツーリング
明けて日曜は、
6時半に起こされますが、7時まで寝て、
地域の清掃活動の後、バイクを出します。

今日はYOR恒例の月イチツーリングで、
手を怪我している俺は今季初参加です。

手の怪我については、以前も触れましたが、
すぐに治るものと思ってたのが、未だに治りません。

実は4月の始めに、近所のオフロード(山)にて、
ダイちゃんのTS200を借りて乗っていて、
ちょっとした段差でジャンプを決めたつもりが、
着地に失敗し、転倒。

柔らかい地面への転倒で、バイクはエンジンも
ストールせず、無傷。すぐにバイクを起こし、
みんなの居る場所に戻ったものの、
バイクを降りてから右手にもの凄い激痛。

痛みは激しく、朝まで納まらず、
さすがに骨折してたらヤバイと思い、
医者嫌いの俺ですが、次の朝すぐに整形外科へ。

レントゲンの診察の結果、骨に異常は無く一安心。
診察は「靭帯が伸びている」というもの。
2週間は固定して下さいとの事でギプス(シーネ)を
作ってもらい、湿布薬を大量に貰って来ました。

俺はてっきり2週間で治るものと高をくくってましたが、
その考えは思いっきり甘く、3ヶ月が経過した今も
痛みは消えず、シーネは通院の度に作り替えられ、もう4代目。

最初から比べれば、間違い無く良くはなっていますが、
痛みは消えないし、親指は一杯に曲がりません。
ペットボトルの蓋を開けるのにもひと苦労。

実は、きっともう完治はしないんだろうと思っています。
バイクに長く乗ってれば、怪我や後遺症はつきもので、
少し不自由でも、ちゃんと指はついてるし、やりたい事はほとんど出来ます。

バイクに乗れなくなる程の怪我をした訳じゃ無い俺は、
まだラッキーなんだと受け入れて、
この怪我と付き合って行こうと思います。

4月のJOINTSツーリングの参加を見送って以降、
5月・6月ともツーリングへは不参加でしたが、
どうせ治らないのなら、今月から自己判断でツーリング復帰です。

実は怪我した直後から、バイクには触っていました。
重いナナハンは、最初は取り回しさえ出来ず、
ようやく1ヶ月ほどして乗り出しますが、フルブレーキングは不可能。

3ヶ月が経過して、やっとRSの高いハンドルなら、
なんとかまともに走れる自信がつきました。
(黒Zの低いハンドルは痛みが強い)

そんな訳で、ツーリングの復帰は、RSでの参加となりました。
今回は大型取りたてのタカシ君が、HDの2011最新モデルの、
納車1週間の"フォーティーエイト"で参加。

5月にも参加した、昔からの仲間の民ちゃんがZZRで参加。
加えてCBナオの同僚の方がCB1300、知り合いの方がSR400で参加し、
いつものメンバーと合わせて、10名でのツーリングとなりました。

ルートはR19を木曽方面へ走り、権兵衛トンネルから伊那へ抜けて、
駒ヶ根でソースかつ丼を食べ、高原道路で飯田へ抜け、
駒ヶ根から高速で先行した3台のハーレーと飯田のフクザワオートで落ち合い、
清内路峠を越えてR19へ戻る、総距離200km強の定番コース。

程よいペースで、美味しいものを食べながら、
事故も違反もなく、無事夕方4時頃帰って来る事が出来ました。

手の怪我は、ブレーキを多用する峠の下りでは、
痛みと、疲れから来るだるさに悩まされたものの、
特にバイクが原因で悪化する事も無く、完全復帰でOKでしょう(笑)

そして10時半頃まで恒例の宴。
睡眠時間3時間半の俺は、夜勤明け無睡眠のカズマサ君には負けますが、
最後まで良く頑張りました(笑)

俺の昭和バイク史6〜リックマンカワサキZ1
しばらくご無沙汰でしたが、
俺の昭和バイク史は、まだまだ序盤です(笑)

俺が小学校の頃は、ちょうどバイクの事故や
暴走族が社会問題化した頃で、昭和50年には
大型自動二輪免許が新設され、
ヘルメットの着用も義務付けられました。

以前も触れましたが、DJぶ〜ちゃんの生家が町内で、
ここで地元では伝説的存在の"初代MILKY WAY"が
立ち上がりました(まだその頃は、ホンダDAXが
数台たむろしてる程度でしたが)。

しかし市内でも、バイク事故で死んだ人などもいて、
親はもちろん、周りの大人はバイクに対して悪い印象を
持っていて「大きくなったらバイクに乗りたい」などと
言おうものなら、ド叱られる様な雰囲気がありました。

そんな社会的雰囲気も有り、仮面ライダー以降、
バイクとの関わりは漫画の中だけに限られました。
少年キングの「ワイルドセブン」に
少年チャンピオンの「ナナハンライダー」。

ナナハンライダーは、まだクールな展開を見せていたけど、
ストーリー重視でバイク漫画と呼んでいいものかどうか?
しかし、バイク=ナナハンというイメージを植え付けたのは
間違いなくこの作品で、そういう意味では重要です。

時はスーパーカーブームの到来前夜。
少年ジャンプにて、本格的なバイク漫画が
連載されていたのはそんな頃でした。

それは「JIN」でもお馴染みの村上もとか氏が
デビューしたてに発表した「虎のレーサー」と、
その続編「熱風の虎」です。

ハーレーダビッドソン、DUCATI、モトグッチ、BMW、MVアグスタetc.
世界のスーパーバイクを知る様になったのは、間違い無くこの作品です。

更にはミュンヒにバンビーンと言った、バイク好きでも
聞いた事の無い様なスーパーバイクや、レーシングサイドカーレースの
世界を伝えたインパクトは、子供ながらに衝撃でした。

村上氏の漫画は、今も変わらないですが、とにかく絵が細かく、
キャラクターも魅力的なのが特長で、連載序盤に主人公がレース相手を
殺してまで勝つために走る姿は、とても子供用の漫画とは思えない迫力です。

そして今回取り上げるのは、主人公の大番虎一の駆る
「カワサキ900Z1改造」です(本文中はこう紹介される・笑)。

オリジナルマシンとの事ですが、
これは特徴的な斜めマウントのウインカーから、
どう見てもリックマン・カワサキZ1がモデルでしょう。

当時はZ1だのZ2だの、リックマンだの、そんな事は全く知らずに、
「主人公の乗る、カッコイイカウルのついたオートバイ」として
認識してた様に思います。

やはりヒーローは、仮面ライダーのごとく、
「カッコイイカウルのついたバイク」に乗っているべきなのです(笑)

写真(下)は昨年10月のロールアップパーティーに
エントリーしていたリックマン・カワサキZ1。
しかも知り合いの弟さんがオーナーという、比較的近い存在。

子供の頃に憧れた、ウインカーが斜めに生えている、
「カッコイイカウルのついたオートバイ」に、
30年以上も経ってから再会出来るとは、思ってもいませんでした。

記念に跨がらせて貰いまして、大感激!!
これなら、180km/hでジャンプする事も出来ちゃうのかも!?

まだまだ自分が将来ナナハンに乗る様になるなんて、
これっぽっちも考えて無かった頃の憧れの一台。

リックマンは、そんな気持にさせてくれるスーパーバイクなのです。
俺の昭和バイク史5〜ヤマハHT90
生まれて初めて
乗せて貰ったバイクは、もしかしたら、どこかの
おっさんのカブだったかもしれませんが、
自分の記憶として有るのは、当時高校生だった
いとこの乗っていたヤマハのトレールです。

このいとことはひと回り(12才)年が離れていて、
通学用に90ccのバイクに乗っていました。

いわゆる3ナイ運動の厳しかった岐阜県ですが、
昭和40年代はまだそんな事も無く、
普通に高校生がバイクに乗ってたんだと思います。

車種も今となっては正確には覚えてませんが、
確かヤマハの90ccのトレールだったので、
年式からすると、このHT90辺りだったと推測します。

色は俺の記憶では緑だった様な気がしますが、
HT90に緑は無いのかな?正確に分からないのが
残念ですが、こんな雰囲気の2stのバイクでした。

まだチビだった俺は、後ろに乗せて貰ったのではなく、
いとこの前に座らせてもらい、ハンドルブレースの
部分に掴まって乗せて貰いました。

家の近所をゆっくり走っただけですが、
バイクのエンジン音と、風を切る感覚に、
物凄い興奮を感じた事を覚えています。

当時は仮面ライダーのサイクロン号も含めて、
アップフェンダーのバイクがカッコいいと感じてました。

アップフェンダーと言えば、こんな自転車もありましたね!!
ヤマハのモトバイクです。
アップフェンダーにバナナシート、本格的なサスペンション。
変速も無く、走ると遅いのですが、カッコいいヤツでした。

近所のお金持ちの子が乗ってましたが、
これも憧れた一台ですね(笑)
秋のツーリング・日本海爆走編
ホテルは富山駅前リラックスイン。
新しく清潔な部屋。ビジネスホテルでユニットバス
なのに、バスとトイレは別々の豪華仕様。
しかもベッドはセミダブルの超快適ルームで、
さらに無料の朝食が付いて、わずか5,200円!!
幹事さんGOOD JOBでした!

この日は9時集合・出発の予定。
6時半に起きて身支度を済ませ、7時半に朝食。
ボスの石川さんに時間までに戻ると言い残し、
8時前に、一足早くチェックアウト。

荷物を積んで、良く晴れた富山駅前のビル街に
集合の音を響かせ、ひとりで走り出します。

やっぱここまで来たら、海を見ておかないとね。
山の子なので、海にはひとかどならぬ憧れがあるんです。
しかも、めったに来る事のない日本海。

しかし富山駅は思ったより海から離れており、
過去3度来てますが、一度しか海に辿り着いた事が無い。
ナビは当然無いので、今回も勘を頼りに走ります。

まずは8号線に出て、とりあえず高岡方面に向かいます。
気持の良い直線のバイパス道路をしばらく走ると、
海浜公園的な標識が現れ、バイパスを下ります。

それから産業道路的な長い直線を進みますが、
なかなかそれらしい場所に辿り着かず。
時間のリミットは余裕を見て8時半。
そろそろタイムリミット!?と思った時、マリーナが現れました。

まだ海は堤防に隠れ見えませんが、
迷いつつも横道に逸れると、波打ち際までスロープになっていて、
バイクのまま海へ入れそうな、素晴らしい絶景ポイントに辿り着きました。

前日まで見ていた天気予報の降水確率は50%。
しかし全くそんな事は感じさせない、青い空に青い海。
とても良いごほうびを貰えた気分でした。

急いで写真を撮り、海沿いの道を走りたいのを我慢して、
迷って遅れて皆に迷惑を掛けない様、正確に来た道を戻り、
8時55分ホテル着。朝の走行距離は約40km。
準備の整った皆と合流し、9時ちょうどにホテルを出発しました。

走り始めると、空はとたんに曇り始め、台風並の強風。
気を遣いながら走り、富山県最後の道の駅「細入」に停まり、おみやげ購入。
ここではH1マッハをはじめ、KH,3台のZ2,CB,GS,RD,忍者その他10台強の
地元旧車軍団が休んでいました。

旧車軍団から5分遅れで出発し、ダム湖沿いのワインディングを進むと、
流葉スキー場近くで、ちゅうちゃんのストリートトリプルが飛び出します。
規制の多い道なので見送っていたのですが、しばらく走って前を見ると、
さきほどの旧車軍団が!!

追い付いて一緒に走りたいと思ってた俺も、思わず飛び出し、
流葉の登坂車線のところで追い付き、2車線に広がって爆走する旧車軍団を、
俺の黒Zとストリートトリプルで、順番にパスして、前に進みました。

最後のKHに追い付き、全部抜き去るのはさすがにためらいましたが、
彼らは峠のてっぺんが目的地だった様で、ペースを落としたので、
やむを得ずパスし、こちらもペースダウン。

峠を越して下ると、やはり数河峠側は白バイやパトカーの規制が多く、
何台か捕まっていました。ちゅうちゃんと2台で、気を付けつつ
快適なペースで、次の休憩地古川まで走りました。

ほどなく皆と合流し、トイレ休憩の後、高山まで出て、そこからは東海北陸道へ。
天気も悪く、気温の下がった、初めての美濃以北の東海北陸道。
すごく高度の有る陸橋などを渡るのですが、ペースが早かった為、
景色は充分堪能出来ず。

ひるがの高原で昼食、ラストは昭和村で休憩し、
ちょいバトルモードなど挟みながら、中津川インター3時ジャスト着。

ミラーはブレて全く役に立たないし、路面が悪いと150km以下でも
ウォブルが出て納まらず、旧車での高速は本当に疲れます。
しかしともかく無事故・ノートラブル、しかも雨に遭う事も無く、
無事に帰って来られる事が出来て良かったです。

家に帰って着替えて、片付けを済まし、バイクも磨いて仕舞い、
4時半頃、CBナオのガレージにZダイちゃんと集って、
缶ビールでプチ打ち上げ。ほどなく雨が降り始めました。

苦手な高速を何時間も走り続け、
悪酔いしそうな韓国製のアルコールの強い缶ビールを飲んで、
ヘトヘトのヘロヘロでしたが、まだまだ夜はこれからなのでした。
秋のツーリング・神様&富山の夜編
果たして、移転か、閉店か。
それすら分からず、しかもそれを確かめる術が無い。
富山には何人か知ってる人は居るものの、
連絡先は知らないという、ごく浅い関係。

とりあえず頭に浮かんだ、名古屋クリームソーダの
IDOさんに電話するも、繋がらず。

周囲は以前と比べて確実に人通りが少なく、
ほぼ誰も歩いていない!

しかし目の前には古くからありそうな金物屋があり、
その店頭には70代とおぼしきお爺さんが。

「この人が知ってる訳無いよな…」と思いつつも
ダイちゃんが尋ねると、
「ああ、そこなら移転したっちゃ」
…なんと知っていました!!

詳しく聞いてみると、ここから東方面の、
郊外の3階建てのビルに移転したとの事。
歩いたら40分掛かるが、車なら10分との事。

すぐに大通りに出て、タクシーを拾い、
運転手さんに店名を伝えるものの、承知しておらず、
金物屋のお爺さんに聞いた情報を頼りに車を進めると、
左側に見慣れたドクロの看板が!!

無事到着しました。お爺ちゃんありがとう。
元ご近所さんが、どこで何をしているか知っている。
この繋がりが、田舎独特の良さなのかもしれません。

白く塗られた壁にCREAM SODAの大きな文字。
ガラス貼りでおしゃれな外観と、内装も白を基調にした
以前の店舗とは正反対の明るいイメージ。

店に入ると、何と炭谷さん本人が店に立っていました。
いや、別に珍しく無い事なのかもしれませんが、
少なくとも俺は過去3回、炭谷さんには会えなかったのです。
(ステージに立った炭谷さんは見ましたが)

店舗を見渡す間も無く、まずは真直ぐに、炭谷さんへ挨拶。
炭谷さんと言えば、ブラックキャッツ(後期)に参加し、
エンジェル(後のブルーエンジェル)を立ち上げ、
そしてあのマジックを作った、伝説の人物です。

炭谷さん無しに、日本にネオロカは定着しなかったでしょう。
少なくとも俺はそう信じています。
俺にとっては、正に神様の様な人物のひとりです。

そんな神様が、初対面とは思えない親密さで、色々語ってくれました。

ブラックキャッツのCMのオファーは、本当は◯◯だったとか、
実は炭谷さんは○本のコカコーラのCMに関わっているとか、
ずっと疑問に思ってたパイレーツの謎とか、
エンジェルとブルーエンジェルの誕生秘話とか、
アッコさんがどうやって選ばれたのかとか、
高校生のアッコさんがどんな印象だったのかとか、
そしてどうして色んなバンドに関わる事になったのか、etc. etc.…

どんな本を読んでも分からない、
当時を生きて来た本人にしか分からない貴重なお話を、
出し惜しみなく、上機嫌に、沢山聞かせて頂きました。

内容は、俺がこんな所に書いたら勿体無いので、
是非続きは、富山クリームソーダで直接聞いて下さいね。
こんなお話が聞けるなら、はるばる行く価値は、絶対あります!!

みんなで沢山買物をして、記念撮影までしてもらって店を出ると
(俺は有名人とは、機会があってもめったに写真を撮りません)
宴会開始時間はとうに過ぎ、郊外の為タクシーはなかなか捕まらず、
宴会場に到着したのは、宴会開始から50分後の事でした。

出遅れたものの、それから富山湾の海の幸中心に色々注文し、
沢山の美味しいものを頂きました。
しろえび、げんげ、白貝、さんまの刺身に、ほたるいか。
富山は本当に美味しいもの沢山で、恐らくどんなお店に入っても外れ無しです。

ただ、飲食店の繁華街は富山駅近くに広がっています。
前回までは中央通り近くにしか行った事が無く、
食べる店が少ないと感じていました。

美味しい店を簡単に探すなら、是非富山駅近くをお薦めします。
中央通りなら、炭谷さんのお知り合いのお店「虎楽(とらく)」が絶対のお薦めです。

7時半頃お開きとなり、俺を除く8名はエロツアーへ。
俺が今までYORの宿泊ツーリングに参加しなかった理由は、これもひとつです。
俺はそういう事が楽しい事も、そういうのが好きな人も否定はしませんが、
ただ俺の考えるクールと、金を払って得るエロとが、結びつかないだけなのです。
あとゴルフとパチンコもそうだな。俺はまだガキなので、大人の遊びが理解出来ない。

俺も3秒話したら、すぐに相手に恋しちゃうくらい、女の人は好きですが、
風◯もキャバクラも、俺には必要ありません。
それに大枚払うくらいなら、俺はイベントで、俺の大切なお客様の為に遣いますよ。

それで夜は、ひとりで富山市街を徘徊。
以前ライブの打ち上げで行った、ブラックキャッツのアルバムタイトルが
店名となった、雰囲気の良いお店に行ってみましたが、
閉店したのか、移転したのか、有ったはずの場所に見つからず。

他にひとりで飲めそうな、雰囲気の良いお店を探しますが、
心当たりも無く、呼び込みがウザいだけ。
富山だったら、とびきりロックな夜が過ごせそうな気がしてたのに、
今はそんなお店も、そんな人も居ないんですかね?

バイクでバーンと街を流したい気分ですが、飲んじゃってるし…
散々歩き回った挙げ句、結局コンビニでビールを買って、
ホテルの部屋でひとり飲み。

ちょっぴり残念な富山の夜でしたが、
ツーリングは気持良かったし、炭谷さんには良くしてもらったし、
カッコいいTシャツも買えたし、魚は美味しかったし、
間違いなく、最高の一日でした。
秋のツーリング・快走編
2010ロカビリーの
聖地を巡る旅・第2弾は富山です。
10月2日(土)と3日(日)と、YORの宿泊ツーリングで
富山市へ行って来ました。

ちなみに第1弾は先月の渋谷・原宿。
いま思い付いて、勝手に命名しました(笑)


YORの宿泊ツーリングは、秋恒例なのですが、
2007年は琵琶湖まで日帰りで参加。
2008年は免停直前で断念。
2009年は親父の四十九日のため断念。
…と来て、今回やっと初参加です。

とは言え、宿泊ツーリング自体、個人的にも
15年振りくらいになると思いますが、
宿を取って行くツーリングは、天気が悪くても
行かなきゃならないから、好きじゃないんです。

あと知らない土地で、バイクを置いて長時間
離れるのが嫌というのもあります。
結婚前は年に何度も泊りでツーリングしましたが、
大体テントを積んで、バイクの隣で野宿でした。

ただ今回は、何度か通った富山までの41号線を、
いつかバイクで走ってみたいと思ってた事。
昨年も同じ富山だったのですが、食べ物がめちゃ旨かった
事を一年間繰り返し聞かされていた事。
富山クリームソーダを始め、また行ってみたいお店が
いくつかあった事が重なり、行く事を決めました。

ここ数年、自分と家族の絡むイベントでは、天気予報が雨でも
何故か雨に降られないという、晴れ男っぷりを発揮する俺ですが、
メンバーの中に雨男が居り、土曜は晴れで、日曜は50%雨の予報。
先に雨なら止めちゃうけど、一番困るパターン。

それでも走りたい気持が勝り、覚悟を決めて当日を迎えると、
ロンTに革ジャンでジャストな、秋らしい良い気候、良い天気。
こんなに気持いい日に、なんでバイク乗らないの?ってくらい、
年に何度も無い最高のバイク日和となりました。

朝9時に、9台が集って、R257から下呂方面に出発。
R41号に入れば、ホテルまで一直線の分かりやすいルートのため、
休憩地のみを決めて自由に走るスタイル。

しかし休日の行楽地は規制も多いので、
良識的なペースで進み、ほぼ隊列も乱れる事無く、古川まで。
ここからの数河峠登りは、地元GSでも注意された規制ポイント。
事実白バイに捕まっている車を尻目に、ごく安全運転で登りクリア。

下りの流葉スキー場で、目の前に割り込み、ウチの仲間を抜いた
マーク2(バイク)を神岡まで優しく追い回し、
ダム湖横のワインディングでは、先行した3台で、快速ペース。

富山県に入ると金木犀が良く香り、最終休憩地から9台揃って
富山市内へ突入します。そのまま富山駅近くのホテル駐車場に
直接乗り入れ、午後3時30分頃チェックイン。

5時には居酒屋で宴会を始めると言うので、
CBナオとZダイちゃんの3人でチンチン電車に飛び乗り中央通りまで。
歩き慣れたアーケードを端まで歩くと、そこには富山クリームソーダ♪
…のはずが、無い!!

えっ!?移転したの!?
それとも閉店しちゃったの!?
そんな事聞いて無いよ〜(汗)

明日着るTシャツはここで調達するつもりで来たのに、
このままでは明日の着替えが無くなってしまう!!(←大した問題ではない)
ここまで来て、どうする!?

…続く。
俺の昭和バイク史4〜3代目サイクロン号
やはり仮面ライダーを
語り始めたら、3代目サイクロン号に
触れない訳には行きません。

一番期間も長かったし、ジャンプしたり、
走りながら変身ポーズを決めたり、
一番影響を受けたのは3代目サイクロンでした。

この辺りからスズキとのタイアップが始まった
様で、本郷猛の変身前の愛車はGT380となり、
サイクロン号は3型ハスラー(TS250)となりました。

本格的オフロード車がベースとなった事で、
荒れ地でのバイクアクションシーンも
増えた様な印象があります。

当時自転車の補助輪も取れた年長か小1の頃、
愛車ブリジストンのバンビ号に乗って、
1m位の崖からジャンプした事があります。

俺の頭の中では、勇気を持って踏み出せば、
絶対仮面ライダーの様にジャンプ出来るはずだと
思っていました。

結果は当然失敗。
気付いた時には、コンクリートの路面に投げ出され、
横たわったまま、しばらく動けませんでした。

キン◯マも強打し、息も出来ず、余りの痛みに、
絶対ひとつ潰れたと思いました。

しかしあんなに無茶したのに、
大きなケガはしなかった様ですし、自転車も
スポークやフォークか折れる事も無く無事でした。

その後このバンビ号では、数々の無茶を繰り返し、
低学年の頃は、生傷と包帯が絶えませんでした。
良く死ななかったと思いますが、それが仮面ライダーの
バイクアクションの影響なのは、疑いの余地は有りません。

ちなみに写真のサイクロン号のパラシュートブレーキですが、
これは子供ながらに大ヒットなアイテムでした。

同年代の人なら、落下傘花火の落下傘を
自転車の荷台に縛りつけて、
ライダーよろしく、走った記憶があるに違い有りません(笑)
俺の昭和バイク史3〜2代目サイクロン号
さて、第3回は、
またまたサイクロン号です。

初代仮面ライダーは、スズキとタイアップしてて
ずっとスズキを使ってたと思ってたのですが、
実は最初期には、タイアップは有りませんでした。

映像を見て無いので何とも言えませんが、一説では、
初代サイクロン号の頃に、本郷猛が変身前に
乗っていたのは、ホンダSL350だったらしいです。

そして初代サイクロン号がクラッシュした後、
このSL350をベースに、
2代目サイクロン号が作られたとの事です。

ライダーカードの写真を調べてみると、
2代目サイクロン号は、最初はカウルが無く、
ヘッドライトが剥き出しのままでした。

その後写真の様に、初代サイクロン号を思わせる、
デュアルヘッドのビキニカウルが装着されます。
(俺の黒Zのカウルと形は似てる)

エンジンは350ccのOHCツイン。
美しい曲線のダウンマフラーを持つ、
いわゆるスクランブラー(ON/OFF兼用車)です。

写真でも、特長的なダウンマフラーが確認出来ると思います。
アップハンドルに、ストロークの長いサス、ブロックパターンのタイヤ。
さぞかしアクション的にも、自由度と安全度が増した事でしょう。

このバイクの音は聞いた記憶は有りませんが、
CL450というスクランブラーは、とても良い音でした。
きっとこのバイクも、荒っぽい、良い音を響かせてた事でしょう。
秋のヤードツーリング
明けて月曜は、仕事を休みまして、
「秋の平日ヤードツーリング」に参加して来ました。

今年のこの灼熱地獄。
秋らしさを感じるなら、10月の方が適していますが、
10月はアメリカへの買い付けがあるとの事で、
9月に敢行する事となりました。

当初は下道で、浜松までうなぎを食べに行く予定
だったので、せめて出発時間は早くしよう(暑いので)
という事で、6時出発となりました。

それに備え、前日中に、今回乗って行く黒Zに
ガソリンを満たし準備万端。
しかしヨアケマエのライブ中、堀社長からメールが。

「明日のツーリング、コースが変更になりました。
木曽〜駒ヶ根〜飯田〜稲武コースです。」

「???」

このコースだと、出発時間がそのままだと、
下手すれば昼に帰って来てしまいます。

疑問は多々有る物の、涼しいうちに走った方がいいので
了解し、明くる朝は5時起床で、6時前にヤードへ。

既に9台のバイクが集り、残りの1台が到着したところで、
ハーレー6台、ヤマハ3台、カワサキ2台の計11台で、
19号を木曽方面に向けて出発しました。

さすが服屋のヤードらしく、参加のみんなはとてもお洒落。
今回はウエスタンシャツ率多し。ところが早朝の19号は、
シャツだけでは震える程の寒さ♪

この灼熱地獄の日々に、とても爽やかな感覚を味合わせて貰いました。
やっぱバイクはどんな格好をしてても、少し寒いくらいが丁度いい。

最初の休憩地は、朝食を食べて無い人の事を考慮して、
寝覚めの床手前のコンビニで。
休んでいる間に、家の都合で遅れた「先生」が、ハーレーで追い付きました。

そこからは12台で権兵衛トンネルを抜け、伊那谷へ。
朝靄の高原道路は超快適。最高の朝の空気の中を走りました。

駒ヶ根のコンビニで2度目の休憩の後、
一番早いソースカツ丼屋は9時に開店というので、
まだ9時前でしたが、駒ヶ岳登山口方面へ右折して進みます。

この時出発の遅れた一台が、我々の右折を見落とし、ルートを直進します。
店まで着いて、後ろに来て無い事に気付いた俺が引き返して探しに行きますが、
見つからず。結局電話を入れて連絡を待つ事に。

カツ丼屋明治亭・登山口店の前で待つ事1時間。
やっと連絡が着いたと思ったら、既に飯田を越えた場所に居ました(汗)

ソースカツ丼は、このツーリングのメインイベントだったので、
仕方なく1人欠けた状態で店に入り、食べた後、10時40分に再出発し、
その一時間後、飯田のコンビニにて、やっと合流しました。

この時間になると、車で流れの悪い国道は灼熱地獄。
しかし飯田から治部坂高原を越える道は、とても涼しく快適でした。

最後の休憩地は、前日も来た、稲武どんぐりの里。
ここではソフトクリームを食べ、上矢作から岩村、阿木を抜け
ヤード到着は2時40分ほど。

結果的には、ちょうど良い時間に帰られました。
また今回の行程は、家から家までで測って269.6kmでした。
下3桁が696(ロックンロール)で嬉しい(笑)

今回はハプニングがありつつも、事故無く無事に帰って来られ、
また、グルメとデザートありの、楽しいツーリングとなりました。

次はまた来春の開催になると思います。
初心者でも安心して楽しめる、和気あいあいとしたツーリングです。
仕事を休む価値は絶対ありますから、是非次回は、
アナタの参加をお待ちしております♪


…しかし黒Zの時は、カウルにレーダーをマウントして行くのですが、
激しい振動のせいか、レーダー(ミラリードBZ-S10)の
振動センサスイッチが壊れました(11月に続いて2度目)。
このレーダー最高なんですが、もう売って無いんですよね…(涙)
俺の昭和バイク史2〜初代サイクロン号
俺達の年代の男なら、
仮面ライダーに夢中にならなかった奴は
いないでしょう。

元々俺はヒーロー物にはあまり興味が無く、
乗り物に興味がありました。

ウルトラセブンのポインター号、
帰って来たウルトラマンのMATカー、
トリプルファイターの悪役のスバル360…etc.
ヒーローよりも、隊員や悪役の乗ってるクルマが
気になったり(笑)

仮面ライダーは、等身大のヒーローが
オートバイを操って活躍する訳です。
始まりの「ブゥオーン!!!」という音。シビれました。
ウルトラマンより仮面ライダーこそがヒーローでした。

で、サイクロン号な訳です。
サイクロン号はやはり初代がカッコいい!!

俺は歴代ずっとハスラーを使ってると思ってましたが、
良く調べてみると違うんですね。
初代のライダーだけでも3回も変わってます。

で、今回は、初代のサイクロン号です。
これはベースがスズキのT200という、今となっては
ほとんど現存車の残って無い、超レア車がベースです。

T200は当時250cc世界最速と讃えられた、
名車T20がベースで、恐らく200ccのロードスポーツ。
スタイルは写真の通り、60年代スポーツの雰囲気です。

T20がT200/T250へ。そしてT500へと繋がり、
やがて名車GT380やGT750へと繋がった訳で、
いわばスズキスポーツの本流に位置するバイクだったんですね。

これをベースに、セパレートハンドルにフルカウルと、
まるで世界を席巻した60年代の日本製ロードレーサー風に
カスタムされたのが初代サイクロン号なのです。

スタイルが一番カッコいいのは、
やはりベースがロードスポーツだからなのでしょう。

とはいえ、俺はマニアでは無いので、
ドラマも当時見たきりで、ほとんど記憶はありません。
結局印象は、当時集めていたライダーカードの物が大きいでしょう。

ロードスポーツの改造車で、スタントマンを使わず、
無茶なアクションを繰り返した結果、
藤岡弘氏は全治半年もの大怪我をします。

これが2号ライダー誕生の真相らしいです。
俺の昭和バイク史〜カブとラビット
バイクは18歳で原付の免許を取ってから
19歳でRSに乗り始め、今年で25年目です。
なんと、もう四半世紀にもなる訳です。

実質25年前に、すごろくで言ったら
アガリのバイクを手に入れた格好ですが、
実は一番乗りたいバイクは、他に有ったりします。

免許が取れるまでの間には
色んなバイクを好きになったし、
色んなバイクに乗りたいと夢見てました。

当時は限定解除する苦労は並大抵ではなく、
大型バイクに憧れる事自体、夢物語でした。

どうしてRSに憧れたのか?
どうやって免許を取ったのか?
どんな縁でRSを手に入れる事になったのか?

自分で言うのも何ですが、
その裏には、なかなかのドラマが隠されているのです。

そんな俺の今までのバイクライフを、
ガキの頃から憧れたり、印象に残ったバイクを取り上げながら
シリーズ物として振り返って行きたいと思います。

そんな事を考え始めてから構想2年。
別に何の準備もありませんが、ネタの薄い時にでも
ぼちぼちやって行こうと思います。

実際の車暦はほとんど無いに等しいし、
基本的に俺は頼まれない限り、他人のバイクには乗らない事にしてるので、
バイクを振り返ると言っても、印象や妄想が大部分になります。

そのため内容が変だったり、写真も雑誌のスキャンや
ネットの拾い画が中心になりますので、
問題がありましたらご指摘下さい。

という事で、最初はホンダのスーパーカブとラビットです。
たぶん、最初に記憶に残ってるバイクといえば、
スーパーカブで間違い無いはずです。

子供の時はその音の印象から「ポンポン」と呼んでいました。
まだ鋪装されていない、土埃の舞う道を、
「ポンポン」の後を追って走っていた記憶があります。

まだ車の少ない時代、ラビットスクーターも、まだ良く走っていました。
近所でいつも作業服のおじいさんが乗っていて、
結構大柄で幅広く、横一文字のテールランプ廻りを見て、
子供ながらに「ヘンな乗り物だなぁ」と思っていました。

数年後、主人を亡くした白いラビットが、役目を終えた様に、
自転車屋の片隅で雨ざらしになっていた姿を見て、
淋しさを感じた記憶が有ります。

別にこれらは、バイクに憧れた切っ掛けではありません。
それどころか、高校の頃まではカッコ悪いと思っていました。
しかし今になって振り返ってみると、
両方とも、とても美しい乗り物だな〜と思う訳なのです。
RSのオーバーホール/完成編
かくして桜の咲き始めた
4月3日。約2ヶ月半の入庫を経て、
我RSは帰って参りました。

以前1本だけ替えていたマフラーは、
残り3本も新品に交換し、エンジンは塗装こそ
やり直してないものの、細部まで磨きを掛け、
きれいに生まれ変わりました。

よくショップなどでは、古いバイクやクルマに
新品パーツを組み込んで、フルレストアと称して
売っていますが、俺はそういうのは嫌いです。

古いバイクはヤレたりくすんだところがあるから
ホンモノ感があるので有って、ピカピカがいいなら
新車に乗れって気がします。

ヤレてる様でも、整備や愛情が行き届いてて、
走らせたら元気に走る。
それが旧車の醍醐味ではないでしょうか。

早速明けて4月4日の日曜の午前中、
上矢作の道の駅まで、YORのショートツーリングが有り、
RSで参加します。

オーバーホールとは言っても、バルブステムオイルシールを
交換しただけなので、特に慣らしが必要な訳では無く、
気にせずいつものペースで走ります。

ところがキャブの同調がイマイチ取れておらず、
アイドリングが不安定で、回転落ちも悪くなってます。
コーナー入口でエンブレが効かない!!(笑)

そのまま帰りにサイクルハウスに寄りまして、
社長に教わりながら、手を貸して貰いながら、
自らの手でキャブの再調整。

今度はバッチリ同調が取れ、アイドリングも安定、エンブレもOK!!
以後4ヶ月、先日の盆休みにもYORで150km弱走って来ましたが、
全くもって調子良い!!

ところで、4月に終えたオーバーホールを、
何故今頃書いてるのかと言うと、費用がいくら掛かったか
ずっと分かって無かったからです(笑)

別にお願いした訳では無いのですが、社長が
「ボーナス出てからでいい」と、請求をくれなかったのです。

気になる今回のオーバーホール代金は、8万円台後半でした!!
大体4割が部品代ってとこです(一部黒Zの部品も含まれる)。

いま、RSは100万で買ったら100万修理代に掛かると、
まことしやかに言われたりしています。
恐らく有名ショップなら、同じメニューで、この◯倍は下らないでしょう。

走る場所も豊富で、良心的で腕の良いショップに恵まれている事。
これが25年間も、同じバイクで走り続けられる秘訣です。
中津川じゃ無かったら、きっと難しかった事でしょう。

これからも調子良く、10万km越えるまで乗り続けたいですね。
RSのオーバーホール/作業編4
9. ヘッド・キャブとも組み上げ、マフラー
も装着した状態。

10. 仮のタンクを繋いでキャブの同調。
RSのオーバーホール/作業編3
7. 同じく黒くススの堆積したピストンヘッド。

8. ススを研き落としたピストンヘッド。
RSのオーバーホール/作業編2
5. 黒くススの堆積した燃焼室。

6. ススを研き落とした燃焼室。
RSのオーバーホール/作業編1
1. キャブレターはOHのみ。
ベースパッキンのみ新品交換。
本当はフロートバルブを、減りにくい
材質の物に換えた方が良いです。

2. カムシャフトとタペット。
シムは最終的にタペットクリアランスを
計測して合った物を装着。

3. 外されたばかりのヘッド。

4. バルブとバルブスプリング。
チェック&クリーニングしてそのまま使用。
キャブのインシュレーターは新品交換。
RSのオーバーホール/点検編
白煙の原因は、
オイル上がりと、オイル下がりの場合が有ります。

オイル下がりの場合は、バルブステムの
オイルシールの劣化またはバルブガイドの磨耗に
よるもので、ヘッドOHで済むので比較的軽傷です。

しかしオイル上がりとなると、シリンダーか、
ピストンの磨耗、あるいはピストンリングが
働かなくなってる事が原因となるので、
ヘッドOHに加え、シリンダーのOHも加わるので
手間も予算も倍になります。

ただ、走っていてパワーダウンも燃費の悪化も
感じて無かったので、希望的観測も含め、俺は
バルブステムオイルシールだろうと見当を
付けていました。

入庫してまずコンプレッションを測った所、
圧縮に問題は無かったので、まずオイルシールの
劣化だろうとの事で、胸をなでおろしました。

ちなみに燃費の計測は、単純に燃費が調べられる
だけではなく、いち早くエンジン内部の不調に
気付く手がかりとなるのでお薦めです。

エンジンがイカれたら、間違い無く燃費は著しく
悪化します。

この間にもサイクルハウスには同じ様な
オーバーホールや中古車整備が次々と持ち込まれ、
毎日作業が有ったわけでは有りませんが、
ひとつひとつ作業は順調に進んで行きました。

俺は仕事が終わってから、用事の無い日には
ほぼ毎日通って進行状況を見て行きました。

大事な作業は昼間やっているので、見たい作業が
見られなかったのが残念ですが、いくつか写真に
残してあるので、一部紹介していきます。
RSのオーバーホール/入庫編
日記を見返してみると、
2006年頃から4番マフラーからの白煙異常を感じ、
金も無いし、だましだまし走って来ましたが、
ようやく昨年12月の名古屋へのツーリングで
ヘッドのオーバーホールを決意しました。

地元には、俺が走り始めた頃から世話になっている
「モーターサイクルハウス」という
信頼出来る技術を持ったバイク屋さんがあります。
通称「(ハウスの)社長」。

ところが欠点は、あまり商売っ気が無いので、
気に入らない客の仕事は絶対にやらないし、
口も悪いので、一見さんにはとっつき難い事です。

しかし、本物の技術を持った職人さんなので、
国産・外車・新型・旧車問わず、安心して任せられ、
地元の本物のバイク乗りには欠かせない存在です。

そして一番有り難いのは、ともかく料金が良心的な事。
しかし逆に乗り気しない仕事だと、ヤル気にならず、
なかなか仕事が進まない難点もあります。

そんな事も有り、ここに出すからには、
仕事は完璧である反面、
半年〜1年位掛けるくらいの覚悟は必要です。

しかし今回、俺には作戦がありました。
俺のRSは4月が車検なのですが、この4月に切れるのではなく、
まるまる1年残った状態でお願いした事です。

そうなると余り長い時間を掛けると、
俺が損害を被るので、実は優しい社長なら、
きっと急いでやってくれると踏んだのです。

バイク屋さんは基本的に冬の間が暇なので、
そうしたレストア/オーバーホールに関しては、
冬が最適な季節と言えます。

ツーリング後、すぐに社長と相談の結果、
年明け早々に入庫する事になりました。

外装は店に置いておくと邪魔になるし、傷が付くかもしれないので、
マフラーも含めて全て外して持ち帰り、
丸裸の状態での入院となりました。

かくして2010年1月16日。
36年目、67,000kmの、俺のRSのオーバーホールがスタートしました。


続く…はず
リムストライプその2
とりあえず買った事で満足してしまい、
作業も面倒臭そうなので、放置したままでした(汗)
またこの手の作業は寒い時にやると失敗します。

そんな訳で、やっと暖かくなり、
どこにも出かける予定も無く、暇だった連休中に
思い立って作業を開始しました。

まずはホイールを中性洗剤で綺麗に洗い、
油分や汚れを落とします。

元々シルバーのリムを黒く塗装して居たので、
ブラシでこすれて塗装の剥がれたところを
塗り直します。

霧吹きに中性洗剤を混ぜた水を用意して、
いよいよ貼り始めます。

フロント19インチは5分割。左右で10枚。
リヤ18インチは4分割。左右で8枚。
これに予備がそれぞれ2枚付属して、至れり尽せり。

最初は長さが分からず、数ミリの重なりで
貼り進めましたが、10mmほど重ねて貼っても
充分なだけの長さが確保されていました。

1面貼るのに時間は10分程。
若干歪んでいても、パッと目には分からないので気にしません。
若干の太さのムラはあるものの、心配した発色は全く問題無し。

俺の黒Zは基本白黒ですが、赤を差し色に使っているため
今回は赤をチョイスしましたが、
ボディカラーに合わせた白いラインも似合うでしょうね。

何より安いから、褪色しても、剥がれても、
気軽に新しいものを買い直す事が出来るので、
またいつか色を変えてみるのもいいかもしれません。

まあ、この手のバイクでこんな事やる人も余り居ないでしょうが、
このRightStuffのリムストライプは、超お薦めです。
リムストライプその1
久しぶりにバイクネタでも。
黒Zのホイールに、赤いリムストライプを
貼ってみました。

俺は以前から、今時のバイクが、リムのところに
赤いラインの入ったホイールを履いてるのを見て、
ホットウィールのレッドラインみたいでカッコイイ!!
自分もやってみたい!!と思っていました。

そんな昨年10月、YORのツーリングの時に、
仲間のトライアンフストリートトリプルが、
リムに白いラインを入れてやって来ました。

ホイールを替えたのかと思って聞いてみたところ、
専用のリムストライプなる物が市販されていて、
それを貼っただけで簡単に出来るとの事。

それは聞き逃せない情報です。
帰ってから早速ネットで探したところ、MDFと、
YsGEARという、2つのブランドがヒットしました。

ところがそれらは、どちらも今時のバイクに合わせて
作られているため、17インチ位のサイズが中心で、
21インチはあるものの、19インチ用が有りません。

シールなので曲げながら貼って行けば
他のサイズでも流用出来そうですが、1セット
3000円〜3500円ほどするので、失敗したら勿体ない。

オークションなども利用して色々探していたら、
RightStuffというサイトで、送料込み1セット980円で
サイズの特注が出来るというものを見つけました。

色も11色から選べ、太さも指定出来ます。
問題は品質ですが(黒いホイールに貼ってきれいに発色するか?)
980円なら、もし外したとしても惜しくありません。
早速注文し、数日で届きました。
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