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Rock 'n' Roll
今年もありがとうございました
本日が仕事納めとなり、恐らく今日が今年の最終更新となると思います。

今日は仕事を終えてから、まずは岡崎ロイヤルマスタードレスカフェにて、
貴重な、ジャービルズ復活ライブが行われますので行って来ます。

ジャービルズの復活ライブは、3回限定で予定されており、
東京分は12/23に既に終了しており、あとは本日の愛知県と、
1月の大阪を残すのみとなります。

大好きで、ずっと応援していたバンドなので、
久々の勇姿を見届けて来ます。

それが終わりましたら、名古屋市は伏見まで移動しまして、
ZIONの不破さんのイベント"Always This"の年末スペシャルに顔を出して来ます。

こちらはベルゴーや、中津川からはビールートズなども出演するのですが、
何とかトリ前のソウル・オブ・リバティには間に合いたいと思っています。

間に合わなくても、こちらは不破さんをはじめ、I.D.Oさん、
RUPPIさん、ひでさんらが勢揃いしているので、
年末の挨拶と言う意味でも、行く価値は大いにあると思っています。

で、ついでに、今年は何回ライブに行ったのかを数えてみたところ、
ここまでざっと58回で、今日の2本を合わせて年間60回となる見込みで、
週一ペースは相変わらずです。

娘が大学に進んだり、腰を圧迫骨折したり、
健康診断で再検査となったり(まだ行ってない)、健康的にも、金銭的にも
不安要素を抱えながらも、我ながら良くやってるな、という感じです。

今年は今日を合わせて残り5日ですが、ライブ以外に、
あと2回の忘年会を終えたら、今年の予定は全て終了となります。

今年は8月に大怪我をしてしまいながらも、なんとか健康には恵まれ、
ほぼ9割程は、果たしたい義理は果たせたんじゃないかと思います。

ところで、このブログですが、来年からはアドレスを少し変えまして、
新たなページにて更新して行こうと思っています。

2004年から開始したこのブログですが、今月でちょうど10年目となります。
大した内容ではないかもしれませんが、10年も続けられたという事は、
それなりに意味の有るメディアとなったのでは?と思います。

ちなみに引っ越し先はこちら。
http://sekila.pro.tok2.com/wordpress/
おしりの"blog"が、"wordpress"になっただけです。

今までチェックして頂いていた方に置かれましては、宜しければ、
2015年からはこちらをブックマークしてチェックして頂けたら嬉しく思います。
新たに出会えた方に置かれましては、今後ともよろしくお願い致します。

今年も楽しく、充実した日々を過ごせましたこと、
家族と、健康と、大切な仲間と先輩、後輩達。
そして沢山の出会いと、素晴らしい音楽に、心から感謝しています。

来年もよろしくお願い致します。

Rockin' Food Collabo in Gifu
羽島市と言えば、こちらでも何度も紹介してます、ロッキンダイナー"MAGIC ISLAND"が有名ですが、店主のヒロさんはカスタムカーショップ"NINE LIVES"の代表でもあり、ロッダー/チョッパー界のカリスマです。

そんなヒロさんが、自身のお店の定休日に、奥さんと、ハーレーのバガーカスタム界のカリスマ、"Iron Padock"の高橋社長と一緒にツーリングで中津川の"五万石"を訪れたのは、ちょうど1年前の事でした。

以前からSNSなどで繋がりはあったものの、直接逢う事で親交は深まり、ライブイベントに一緒に行ったり、竜さんが泊まりがけで"MAGIC ISLAND"に遊びに行ったりと、徐々にその絆は深くなって行きました。

竜さんは中津川伝統の「しょうゆ味」を地域おこしのメニューにしようと、
自ら「中津川しょうゆだれ倶楽部」というものを立ち上げ、
市内の飲食店にしょうゆだれレシピを伝授し、いまや市内20店舗ほどのお店で、
独自のしょうゆだれメニューが楽しめるようになっています。

(ちなみに中津川名物の3つ団子の五平餅も、
タレはしょうゆがベースであり、これが伝統の味です。)

以前から竜さんは独自にしょうゆだれのたこ焼きやパスタ、
ハンバーガーなどを開発して試作品として、お店で裏メニューとして
提供していましたが、それを「"MAGIC ISLAND"の絶品ハンバーグと
組み合わせて提供してみよう」というのが、今回の企画、
"ロッキン・フードコラボ・イン・岐阜"です。

"MAGIC ISLAND"のハンバーグは、良くTVのグルメ番組で紹介されるような、
フォークを入れると肉汁が溢れ出す、とてつもなく美味しい絶品ハンバーグです。

"MAGIC ISLAND"は他にもステーキや、ステーキボウル(ステーキ丼)などが
名物となっていますが、これは良質で美味しいお肉を仕入れているという
証拠に他なりません。

いままで、五万石プロデュースの「鶏ちゃんのたれ」を使用した
「鶏ちゃんボウル」というメニューの提供はしていましたが、
今回は満を持して、"MAGIC ISLAND"の「絶品ハンバーグ」と、
"五万石"の「しょうゆだれ」とをコラボさせ、「しょうゆだれロコモコ」と
「しょうゆだれハンバーガー」の2つのメニューを、2日間に渡って提供する事になったのです。

俺は13日は豊橋、14日と15日は富山と、遠征続き。
当初は連続した16日も出かける事は無理だと、全く行くつもりはありませんでしたが、
ヤードの社長から「行かないの?」と聞かれ、「はっ」と気が付きました。

連続して出かけてるから、とか、金を遣い過ぎてるから、とか、
腰が痛いから、とか、平日に遠くへ行くのは辛い、とか、
平日は高速料金が高いから、とか、英会話教室を休まなきゃならない、とか、
そんなのは全部、自分が行かない事を正当化するための言い訳に過ぎません。

自分がいま楽しく色々やれてるのは、全て周りの人のお陰なのに、
どうしてそこで自分の都合を優先するのか!?って事です。

自分ひとりが行く事でどうこうなる訳ではありませんが、
本当にお世話になっているお2人の企画なので、
これは行くしかないだろうと、豊橋行きの前には心に決めました。

果たして富山から帰ると、予想以上に腰への負担が大きく、
身体も重く、一瞬「止めようかな?」と心によぎりますが、
火曜の朝には、行く気モードに気持ちを切り替える事が出来ました。

事前に一緒に行く仲間を募ってはみたものの、期待はしていなかったのですが、
当日の夕方になり、"ザ・ビールートズ"の立尾君が名乗り出てくれて、
一緒に行ってくれる事になりました。

かくして仕事が終わって、6時半に立尾君の運転で中津川を出発し、
7時半過ぎには"MAGIC ISLAND"へ到着。

中津川からは五万石の竜さんに加え、「いわき家」のまー君、
「料亭木曽路」の若旦那の2名がスタッフとして同行し、竜さんは
"MAGIC ISLAND"のステージ上で、DJよろしくしょうゆだれの仕込みをしていました。

俺と立尾君は「しょうゆだれバーガー」を注文。
俺は立尾君のお陰で、"MAGIC ISLAND"で念願のビールも注文。

到着当時から、駐車場にクルマは一杯でしたが、
食事をしていると、次々に集って来るハーレーチョッパー。
そしておしゃれでカッコいい、地元のお客様達。

瞬く間に"MAGIC ISLAND"は満席となり、
ほとんどの方にしょうゆだれメニューをご注文頂き、
この日のイベントは売り切れとなるほどの大成功となりました。

あまりにも楽しくて帰りは名残惜しく、10時頃店を出たのに、
そのまま30分ほど駐車場でバイク談義をするなど、
地元では味わえない、アメリカンダイナーならではの雰囲気を存分に味わい、
帰りも立尾君の運転で、11時半頃帰宅しました。

往復200km、行き帰りの時間を含めて5時間の小トリップ。
行くのを止めて、家でTVを見ていても同じ様に時間は過ぎます。

だけどこうして行動を起こした5時間は、同じ5時間でも、全く価値が違います。
恐らく、科学的には証明出来ないでしょうが、
何倍も凝縮された、濃い時間なんじゃないかと思います。

人生も同じです。
俺も48年生きて来ましたが、たぶん同じ48歳の人に比べ、
過ごして来た時間の濃さは、相当なものじゃないかと思うのです。

えらそうな事を言うつもりは在りませんが、
もし、後悔しない生き方を選びたいならば、
まずは行動を起こすしか無いと思います。

ネットで何でも情報は得られる時代ですが、
どうせなら、情報は受信するより、発信する側に立ちたいと思うのです。

腰を傷めた。それでも前向きに。
土曜に傷めた腰ですが、まだかなりの痛みがあるものの、日曜、月曜と出来る事が少しずつ増え、急激に回復している様子を凄く感じます。

医者嫌いの俺は、よほどの事が無い限り医者に行く事はありません。今回もギックリ腰だけならこのまま自然治癒力で治るだろうと思っていたと思います。

だけど、最初に黒Zを起こした時に感じた、何かが潰れた様な感覚。
それがどうしても気になったので、月曜に出勤した後、会社近くの整形外科に行って検査を受ける事にしました。

最初に院長の問診を受けた後、レントゲンを撮るから待っててくれと言われて40分。

待ってる事で不安は募るし、そもそも座った体勢が痛いので、しびれを切らして「もう帰る」と受け付けに言いに行ったら、すぐに順番が回って来てレントゲン撮影となり、それが終わるとすぐさま整形外科の先生の診察となりました。

診察室に入ると、コンピュータのモニタを見つめる先生の深刻な表情。
「あなた痛くないですか?よく歩けますね?」

「腰椎(腰の骨)は、上から5つ並んでいます。」
レントゲン写真を見ながら、先生から説明を受けます。

「こちらが身体の前、こちらが背中側です。
通常はこの様に、前と後ろの高さは同じじゃなきゃなりません。」
と、上から4つの腰椎を指し示し、説明してくれます。

「ところがこれ、見て下さい。この骨は前と後ろの高さが違いますよね?
750ccのオートバイって、一体何kgくらい有るんですか?
これは腰の骨が押しつぶされています。つまり腰椎の圧迫骨折です。」
「あなたくらいの年齢でこんな風になるのは珍しいのですが、
骨の色や状態を調べますので、すぐに明日MRI検査をして詳しく調べます。」

概ねこんなやり取りで、診察は終了しました。


酷い状態というのは予想していましたが「圧迫骨折」なる言葉が
自分の身に降り掛かろうとは、全く想像はしていませんでした。
俺はバイクで2回車にぶつかっていますが、骨折も入院もした事がなく、
自分の骨は強いと勝手に思い込んでいたからです。

ショックでは有りましたが、起きてしまった事は仕方有りません。
会社に戻り、圧迫骨折について色々調べてみました。

通常は、骨粗鬆症になった老人などが、しりもちをついたり、
時にはくしゃみをしただけで脊椎を圧迫骨折するケースが多い様です。

健康な男性の場合は、高所からの転落や、交通事故などで起きるケースがほとんどで
あとは可能性として、今回の様に重いものを持ち上げた時、
たとえば脱輪した車を無理に持ち上げようとした時などに起きる場合があり、
パワー系の競技(ウエイトリフティング等)でなる可能性もあります。

今回はおよそ250kgほどのZを起こす時に、一気に力を掛け過ぎたのでしょう。
ナナハンを起こす事なんて屁でもないと思ってた自分だからこそ、
油断が招いた怪我だったとも言えます。

先生にも話しましたが、もしかしたら過去に、
きっかけとなりうる事があった心当たりはありました。

実は子供が小さい時に、市内の公園に石で作られた山のような遊具があり、
そこに登った子供が自分で降りられずてっぺんで泣いていたので、
俺が子供を抱きかかえて降りた事がありました。

その時に足を滑らせしまったのですが、子供を抱いていたため手が出せず、
ノーガードでまともに石の上にしりもちをついてしまった事があります。

この時、自分の体重と、子供の体重+加速度を、
お尻に(お尻は腰に繋がっている)まともに掛けてしまって、
しばらく痛くて動けなくなりました。

この時も本当は「ヤバいかも」と思いつつも、結局医者に行かず仕舞いで、
思えばその時以降、立ってるととても疲れやすくなったり、
重いものを持つと腰が痛くなったりするようになった気がします。

数年前からバイクに乗ってる時も、ちょっと激しくコーナーを攻めた時に
耐え難い腰の痛みに襲われ、しばらく痛みが治まらなくなる事があり、
普通に乗っても腰に違和感を感じる事が多々有りました。

一見しっかりして見える箱などでも、
少し紙が曲がっていたらすぐにクシャっと潰れる様に、
そんなきっかけとなる原因が、何年も前から潜んでいた可能性はあります。

ずっと無理をして生きて来た実感はあるので、これも運命と受け入れる
他はありませんが、気になるのは、明くる日のMRIの検査結果で、
何か悪い宣告をされるんじゃないかと言う事。

最悪のケースも想定し、自分がそれを受け入れられるのか、
たった一晩でしたが、自分を見つめ直す時間となりました。

果たして明くる日の夕方のMRI検査。
検査は寝たままで30分ほどで終わります。
そしてすぐに先生の診察。

結果的には、骨の潰れを再確認しただけで済み、
想定していた最悪のケースでは有りませんでした。
また、次に困ると思っていたのは「入院」ですが、
それも言い渡される事はありませんでした。

ただ、まだ進行する恐れがあるので、2ヶ月間は毎週通院をして
経過を観察すること。最悪の場合はどうなり、そうなった場合には
すごく困ったことになるとの説明を受けます。

俺からの質問は
・痛み止めが処方されているが、飲みたく無いので、飲まなくてもいいかということ。
・車で長距離を走る場合があるが、車の運転は問題ないかという事。
・バイクには乗れる様になるのかという事。
・酒を飲んでも良いのかという事

それに対する答えは
・痛みが気にならないなら飲まなくてもいい。
・かなり痛くなると思うが、自分が大丈夫と思うならいい。
・重いバイクは、とりあえず2ヶ月は止めてくれ。
・酒は気が大きくなるので、少しにしてくれ。

人によって変わるのであくまで一例ですが、この様なもので、
当面普通の生活は続けられる事になりました。

ただ、経過を診て、悪化してる様な事があると、
この状況は一変する可能性があります。

かなり慎重に色々行わなければならないので、
約束したライブにはなるべく行くつもりですが、
会場で俺が大人しくても、2ヶ月間はそっとしておいて下さい。


俺は大概、真面目な気持ちで、無茶して生きてる実感はあります。
これはそんな自分に対する警告なのだろうと思います。

全治2ヶ月の診断ですが、潰れた骨が元に戻る訳ではありません。
要するに治らないし、恐らく一生コルセットは外せないでしょう。

腰に爆弾を抱えて、いままでと決して同じには出来ないだろうけど、
もっと自分を大事にする事で、結果的に永く楽しめるなら、
それも良いかと思います。

起こしてしまった事故や怪我を悔やんでみても始まりません。
むしろこの程度で収まっているなら、とても幸運だと思うべきでしょう。

きっと自分の与えられた役目は、こうしたハンデを背負う事と向き合って、
それでも楽しむにはどうすればいいか、とか、
同じ様な怪我を起こさない様にどうするのか、とかを、
周りに伝えて行く事にあるのかもしれません。


ギックリ腰と、約束を守ること
明けて土曜は、早朝からRSに乗ろうと、4時半に起きるつもりが、起きたら5時半(汗)

嫁は仕事で、子供の送りがあるので、タイムリミットは8時。
急いで支度をして、家を6時前に出て、まずは24時間営業のセルフスタンドで給油をして、6時5分にようやくスタート。

夏の早朝に走ると最高に気持ちのいい、中野方〜白川ラインを走り、時間が無いので41号には出ず、256号へショートカットします。

途中2回だけ写真を撮るため止まりましたが、後は信号以外ノンストップで走り続け、ちょうど100kmを100分で家に帰って来ました。良い朝の散歩でした。


朝食を済ませ、娘を送り、今日は何をしようかと考え、
黒Zのオイル漏れの対策をしようと思い立ちます。

黒Zにはセンタースタンドが無いので、レーシングスタンドで立てます。
俺の持っているものはJ-TRIPのローラースタンドで、
手順はFブレーキを固定し→ハンドルを左に切り(この方が右に倒れにくいらしい)
→両手でバイクを直立させて→足でスタンドを踏み掛ける

この様な手順なのですが、実際には傾いた車体から、
レーシングスタンドにスイングアームの位置を左右合わせるのは結構困難。

でも今まで一度も失敗した事などなく、慣れたつもりでいたため
ハンドルを真っすぐにしたままスイングアームの位置を調整してたら、
右に必要以上に傾いて、バイクを倒してしまいました(汗)

今思えばキチンと左にハンドルを切って置けば、、
と思いますが、起きてしまった事を嘆いてみても後の祭り。
慌てて右側に回り込み、バイクを起こしに掛かります。

完全に倒してしまったZを起こすのは何年ぶりか?
思ったより重いな、と感じながら、250kgは有ると思われる車体を
一気に起こそうと力を入れますが、途中で腰にグニっとした違和感を感じ、
ヘナヘナと力が抜けて、また倒してしまいました。

そして襲って来る激痛。
声も出ず、喘ぐ様な状態で、へたり込んだまま動けず。

幸いガソリンは漏れてはないものの、倒したままにもしておけず、
2分ほど休んで、激痛に耐えながら、もう一度渾身の力を込めて、
何とか自力で直立させました。

これが噂に聞くギックリ腰なのか?
聞いた話では全く身動きが取れなくなるケースが多い様ですが、
その状態で重いナナハンを起こせるものなのか??

すぐにiPhoneで様々な情報を収集。
そこで調べてみた、ギックリ腰の時に楽な姿勢を試そうと、
とりあえず家の中に入って寝て、身体をエビの様に丸めてみますが、
まず寝転がるのが大変で、そんな格好は逆に冗談じゃない痛さです。

寝ても座っても痛く、立ってるのが一番楽。しかも歩く事が出来る。
そんなケースがあるのかとネットで調べてみると、立ってる方が楽な場合は、
椎間板を傷めているケースが考えられるとの事。これなのか!?

そして対処法は冷湿布とコルセット。
医者には行かなきゃならないとは思いますが、とりあえず歩けるし、
医者は後回しにして、とりあえずコルセットとシップで対処する事にします。

実は腰には、随分前から違和感を感じていて、
2005年に、腰用のコルセットを購入し、度々使っていました。

しかしコルセットを取りに行くために階段を上がるのが一苦労。
腕で身体を支えながら、足を1歩ずつ階段に乗せて行く感じ(下りは楽)。

コルセットを装着し、今度はシップを買いにクルマで出かけようとしますが、
車に乗り込むのにも一苦労。足がステップまで上がらないし、
何とか座った後に、右足が上がってこない。

何とか手で右足を引っ張り上げて、クルマに乗り込みますが、
座った姿勢が辛いし、ペダルを踏むのも痛みが走る。
安全確認のため、身体を捻れない。運転するのも、かなりの苦労でした。

ちなみにバイクのダメージは、鋳物のポイントカバーにヒビが入った事と、
ウインカーレンズが割れた事くらい。ストック部品もあるし、すぐに対処。


それはいいのですが、気になるのは今夜と明日のライブの事。
実はそれも有って、医者には行きたく無かったのです。
医者に行けば、間違いなく止められるはずです。

この日のライブは、チケットを取り置きにしていたので、
約束を守るため、ともかくブレスには顔を出して、
きちんと入場する事だけは、心に決めていました。

普段HRNの時でも、チケット取り置きにして下さる方は、
ほぼ100%の確率で来て頂いています。
また急用で来れなくなった方は、必ずその連絡をして下さります。

チケット取り置きとは、信用有ってのシステムですから、
自分はイベンターとして、その信用を損ねる事があってはならないと、
それを自分の身体の事より、最優先で考えました。

そう考えた理由の一つに、先日のTHE FACEのライブの事があります。
取り置き注文を入れていてくれたのに、全く連絡もないまま訪れず、
しかも後のフォローの言葉もないという、若いお客さんが居ました。

そういういい加減な人も居るのも、色んな人が居るので仕方ありません。
しかし、それが当たり前になってしまったら、我々は今後のイベント運営を、
安心して進める事が出来なくなってしまいます。

すなわち「取り置きシステム」の崩壊に繋がりかねません。

なので今回は「ギックリ腰」という、通常なら立派な断りの理由になる
困難に遭いながらも、敢えて這ってでも参加する事で、
約束を守るのは大切な事だと、身をもって証明する必要を感じたのです。

また、先日のTHE FACEの時にも、ステルストリガーのよこちんが、
「腰をやっちゃった」と言いながら、足を引きずって来てくれていました。
その想いに報いるためにも、自分が同じ状況で行かない訳にはいきません。


これはあくまでイベンターとしての、個人的なこだわりであって、
普通の人にそこまで求めるという事では決してありません。

18歳やそこらで、SNSなどで繋がってる事で、
友達感覚で軽くチケット予約をしてくれる事はいいのですが、
大人と付き合うなら、軽々しく出来ない約束をすることが、
どれだけ信用を損なうのかを知るのも、社会勉強です。

だけど逆に、困難を押し通して守った約束が、
どれだけ大きな信用を生むかを知る事も、これまた大きな社会勉強です。

3年振りに教育論など
3年前に
高校受験の結果をお知らせした
ウチの上の娘ですが、早いものでこの1日に卒業し、
大学受験にチャレンジしておりました。

高校入学後、全く口を出さなくても
常に成績上位を維持し続ける娘の事は100%信用していましたが、
親としては結果が出るまでは、気が気では有りませんでした。

しかし3月9日、お陰さまを持ちまして、
「名古屋大学 医学部 保健学科」への合格を得る事が出来ました。
ここに良い結果の報告が出来る事を、本当に嬉しく思います。

親の自分が、それほど子供に干渉してない事は、
このブログをずっと読んで下さっている方にはお分かりでしょう。
しかし嫁は俺以上に、教育に関してはさほど関心を持ってないのです。

それで保健学科ではありますが、名古屋大学という、
東海地方では頂点と言える大学に合格出来たのは、
ほぼ100%、本人の努力と、学校のサポートによるものです。

娘はこの3年間、毎朝4時頃起きて勉強を開始し、7時に登校。
夜8時まで学校で勉強をして、帰宅は9時。
晩ご飯はそれからで、寝るのは早く、11時半頃には就寝。

家での勉強時間がそれほど長い訳でもなく、
いわゆる進学塾には、短期ゼミも含めて、一切通いませんでした。
(ただ、小さな時からずっと続けて来た公文式は、
国語が最終教材に達した高校一年の夏頃まで続けました。)

娘の通っていた高校は、3年前には校名を明かしませんでしたが、
瑞浪市にある私立の中京高校です。

明るく礼儀正しく、学校全体の雰囲気がとても良く、
卒業式の先生方による演出には、本当に生徒への愛情が感じられ、
いままで見たどんな卒業式よりも感激させられました。

スポーツの特待生が多く、体育会系の学校と言う印象を持っている人が
まだまだ多いのですが、ここの進学クラスというのは、
目標を持って学習を続ける人には、最適な環境なのです。

実は俺の姪も中京高校出身で、同じく名古屋大学に進み卒業してますし、
娘の学友も名古屋大学に推薦を得て合格しています。

授業が終わった後、遅くまでみっちり勉強を見て下さるので、
進学塾に通う必要が無く、土曜日でも登校すれば勉強を見てくれます。
もちろんそれで授業料が割増しになる訳ではありません(ウチは全額免除)。

「皆が通ってるから」という理由で、親が自分の安心感のために
進学塾に通わせるくらいなら、こうした私立高校に入学させて
しっかり学校にサボートして貰った方が、よっぽど安く結果に繋がると思います。

そんな娘ですが、挫折も無かった訳ではありません。
本当は娘は、医師を目指していました。
本来は国公立の医学科が第一志望だったのです。
(私立の医学科には、俺の経済力では行かせてやれません)

その目標に向かって努力を続けて来た娘は、センター試験の結果を持ち、
何とかギリギリ国立の医学科への推薦を得る事が出来ました。
そして2倍ほどの倍率の推薦試験を受けた結果、残念ながら不合格だったのです。

それ以外にも全額免除での私立大学への合格、
防衛大学の一次試験合格、私立薬学部への合格などは勝ち取っていましたが、
すべて蹴って、背水の陣での国立前期試験へのチャレンジだったのです。

リスクを避けるため、医学科を諦めなければいけなかったのは、
娘としては不本意だったに違い有りません。

それでも9日当日、合格発表をスマホで確認した娘は、
今まで見た事がないほど、大声で泣いていました。
その姿を見て、その選択は間違いじゃなかったと納得しました。

俺も表現のしようのない喜びに満たされ、
恐らく娘が、無事この世に生まれた時以来の大きな喜びを感じました。

3年前もまだまだ道の途中と書きましたが、
これももちろん過程に過ぎません。

本当の結果は、これから4年後、きちんと卒業して就職し、
自分で給料を稼ぐ様になり、社会に貢献出来る人間になる事。
それ以外にありません。

俺にしても収入が増える訳では無いので、これからの数年間は
本当に色んなものを切り詰めて、何とか娘を立派に社会に出せるまでは、
我慢を重ねて頑張って行かなければなりません。

恐らくライブの遠征は、かなり減らさざるを得ないと思います。
今までの様に、大きく自腹を切る形でのイベント運営も、
困難かもしれません。

だけど長い人生です。それをネガティブに捉えては楽しめません。
そんな苦労も含めて、きっと素晴らしい未来に続いているに違い有りません。

これからも何とか、出来る範囲で、精一杯やって行きたいと思いますので、
暖かく見守っていて下さい。そしてこれからも、
とうか変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

2014年スタート
今年も休みが長かったのですが、
休み明けからデザイン関係の仕事が結構忙しく、
新年のご挨拶が遅れましてすみません。

今年も新春から色々楽しみな企画が
進行中ですので、
どうか期待してお待ち下さい。


今年は松の内が終わるまでは
大人しくしていようと、
ライブの予定は一切入れませんでした。

おかげでまる3週間もライブから遠ざかってる訳ですが、
2週間も離れると、何となく気持ちが少し冷める感が有ります。

去年はライブハウスに住んでるのかってくらい、ライブに行き続けた
自分ですが、そういう生活をしていると、休日に家にあまり居られないため、
この機会にたまったビデオや本を見たり、家の中を片付けたり、
色々な家の仕事をしたり、普通のお父さんらしく過ごしました。

最初は遊びに行きたくて、ソワソワする気持ちが有ったのですが、
だんだん慣れて来ると、何も考えずに家でのんびりしてるのって
楽だなって感じて来てしまうのです。

オートバイなんかもそうですが、最初は毎日でも乗っていたかったのが、
週に一度になり、月に一度になり、気付いた時には半年も乗ってなくて、
エンジンが掛からずそのまま放置、、

そんなパターンって多いと思います。

(ところで今シーズンの中津川は、一度も積雪が無く、
お陰で正月休みと、この3連休は、例年になく、良くバイクに乗れました。)

しかしそろそろ、あのライブハウスの空気感が恋しくなって来たので、
今週辺りから活動を再開しようと思っています。

気持ちを昂らせたり、鼓舞して行くのは、結局の所自分次第ですので、
つまらぬオヤジにならない為には何が必要なのか!?

別にロックやバイクに限らず、何か熱中出来る事って、
男には必要だと思います。今年もそんな試行錯誤な生き方を、
数少ない愛読者の方にお伝え出来ればと思います。

ただ今年は、娘が大学受験を迎えまして、
無事進学が決まった場合、予算的な問題で行動の自由度は奪われ、
去年の様に遠征は、多く出来ないかな?と思います。

その分今年は地元中心に、色々なライブを応援して行くつもりです。
自分の好きな音楽はずっと変わらないですが、どんな音楽でも、
一生懸命演ってる人達を見たり、応援したりする事に、価値を感じるのです。

またHRNは、今年は5月と11月の2回を予定していますが、
なかなかこの地方では見られないゲストを呼びたいと思いますし、
マンネリ化解消のため、少し新しい空気を入れたいと考えています。

そしてもう一度、愛されるイベントとは何かを見つめ直し、
色んな人に、楽しんで頂ける場を提供出来たらと願います。
新しいアイデアで、より良いイベントを重ねて行きたいですね。


景況的には、消費税の3%アップという不安要素はあるものの、
景気回復基調は安定し、株価は2万円を越えるほどに達すると思います。

オリンピック誘致の決定や、リニア新幹線の着工の開始など明るい話題も多く、
ますます世界の中で、日本の担う役割が高まる年だと思いますので、
どうか皆さん、希望を持って、前向きに生きて参りましょう。

今年もきっと素晴らしい年になります。
どうか、今年もよろしくお願い致します。

今年もありがとうございました
今年も残す所あと3日。
今年は病気や怪我も無く、
やりたい事を思い切りやれた年だった気がします。

カレンダーを見返してみたら、
今年は自分のイベントも含め、
大体60回ほどライブに行った様です。

一年間は52〜53週間ですので、
週1回以上はライブに行った計算になります。

以前、週に一冊本を読もうと決めた年が有り、
その時も一年間に60冊ほど読みました。

今年はとにかく、深く考えずに
応援したいと思えるバンドやイベントには
「まず行く」という姿勢を貫いた結果です。

そしてとにかくポジティブな内容で、
こうしたブログやTwitter、SNSなどで、その楽しさや、
皆が頑張ってる様子を伝えようと思い、実行しました。

それに意味が有ったのか、無かったのか、
もしかしたら結果は何年も後に出るのか分りませんが、
これが今年、自分が精一杯やった証だと思います。

60回といえども、もっともっと行きたかったライブに
行ってあげたかったイベントもあります。
経済的に諦めた事も何度か有ります。

そう言った意味では、どれだけやっても、
全ての人を満足させる事は本当に難しいですが、
行けないライブは自分のメディアを使って宣伝するという形で
応援したつもりです。

やるだけやってみようと思ったのは、
色んなライブを断る言い訳が世の中には有る訳ですが、
それ、本当に出来無いの? といった疑問から、
「こうしたら出来るんじゃないか?」という事を、
自分の身体で確認して見たかったから。

だから遠く福島まで行ってみたし、
1日に2つライブを掛け持ちなんて何度もやってみたし、
その日が仕事だろうが、次の日朝早かろうが、
連日のライブになろうが、飲み会と3日間連続になろうが、
出来無い事は無い事を証明してみたのです。

結果分った事は「来たい人は来るし、来たく無い人は来ない」と言う事。
そんな当たり前の事を、すごく手間を掛けて確かめました(笑)

やはりイベンターとしてのテーマは、
「どうしたら行きたいと思ってもらえるか」これに尽きます。

来年は家庭の事情も有り、ここまでペースは上げられませんが、
とにかく周りのバンドやイベントを応援して行く立場に変わりはありません。
一生懸命心から応援してたら、いつか自分も応援してもらえるかもしれない。

そう信じて、来年も頑張って行こうと思います。

最後に、今年も沢山の方とお知り合いになり、
本当に親切にしてもらったり、楽しくさせてもらったり、
大変お世話になりまして、心から感謝いたします。
来年もよろしくお願い致します。

2013年スタート
少し時間が経ちましたが、
新年明けましておめでとうございます。

皆様におかれましても、
良いお正月をお過ごしの事と
お慶び申し上げます。

今年は暦の関係で、いつに無い、
長い正月休みとなりまして、
何年振りかと言う程、
家でのんびり過ごしました。

元旦には少し雪がありましたがRSに乗り、
昨日は少し暖かかったので、黒Zにも乗れて、
早々に初乗りが決められて安心しています。

社会情勢としては、昨年末に再び政権交代が起こり、
暗黒の3年間がやっと終わり、ようやく
本当に景気回復の兆しも見えて来ました。

復興にも弾みがつく事でしょう。
これからの2〜3年間は、日本に取って、
本当に大事な時期となるに違い有りません。

どうかマスコミのネガティブな情報に惑わされず、
希望を持って、明るく、前向きに生きて行きましょう。


そして個人的な事ですが、今年は年男となり、
12年を1周と考えると、5周目に入る年となります。
この5周目を終える時には、自分は60歳となる訳で、
そろそろ人生も仕上げの時期に来ていると言えます。

恐らく精力的に活動出来る期間も、そんなには長くない。
ネガティブな意味ではなく、だから今まで以上に、
密度の濃い活動を心がけて行きたいと思っています。

今年も色んな場所に行って、色んな人と出会い、
素晴らしいバンドやイベントを、沢山紹介して行きたいです。

これからは自分の楽しみよりも、人をどれだけ楽しませる事が出来るか?
どれだけ人に喜んで貰えるか?またどれだけの人を笑顔に出来るか?
そんな事に意識を集中して、一年一年を頑張って行きたいと思います。

今年も最高の年になる!!
どうか、今年もよろしくお願い致します。
cafe500
ライブ終了後、
初めての休日は三連休でした。

初日の夜はこちらでも告知した
片田さとる君のライブショーが有りましたが、
家族で食事の予定があって行けなかったので、
夕方挨拶に行き、リハを見させて頂きました。

そのリハは正にプロミュージシャンのもので
一曲一曲を丹念に、2度とか4度とか、細かな
音程の違いをチェックする様が印象的でした。

実際のライブは沢山のお客さんが集まり、
テーブル席もほとんど埋まり、大盛況だったそうです。
次回は是非会場で、生で感じたいと思います。


明くる日は前日のぐずついた天気が嘘の様に晴れました。
ライブの準備に忙しかった一ヶ月間、
俺にはずっと恋しくてたまらなかった珈琲がありました。

そしてようやくこの日の午前、スカGに乗って
紅葉の続くワインディングを抜けて、
中津川市阿木にある、"cafe500"に行って来ました。

この場所を知ったのは、10月の頭でした。
阿木に住む同級生の美女から
「TERAちゃんが気に入りそうなカフェを見つけた」と
メールを貰ったのが切っ掛けでした。

ブログがあるというので早速見てみると、
週に一度は通うカフェ・アドレナリンのごとく、
週末には名古屋や三河方面から、名車や旧車が集まっている様子。

これは一度偵察に行くべきだと、
すぐその週末にRSを飛ばしてcafe500を訪れました。

いつもバイクで走っていた国道363号線のワインディング。
阿木駐在所を抜けた後の左コーナー脇に、
それまでは見落としていた、小さな赤い看板を見つけました。

そこから更に山の方へ向かうと、
田んぼの向こうに、現代風な銀色のガレージを有した建物と、
小粋な蔵作りの建物が並んで建っている場所を見つけました。

ガレージには真っ赤なFIAT500。店名の由来となった車が鎮座。
その隣の蔵がカフェになっています。
入口でブーツを脱ぎ中へ入ると、コンクリ造りの4席ほどのカウンターと、
急な梯子段があり、2階席がある様子。

先客がひとり居ましたが、初めての店に少し緊張しながら
カウンター席に着くと、マスターらしき人が水を出しながら、
「あれっ?TERAちゃん?」と声を掛けられます。

何とマスターは、以前良く通っていた服屋さんで店員をしていて
当時お世話になっていた、同級の友人でした。
彼が居なくなってその店にも行かなくなっていたのですが、
恐らく15年振りくらいの、予期せぬ再会でした。

聞けばその後、会社勤めをしていたのですが、
持ち前のこだわりが高じて、2010年より週末だけ、
自宅横の蔵を改造してカフェを開いたのが始まりだそうです。

その後口コミを中心に評判が広がり、
地元よりも、むしろツーリング途中の名古屋・三河方面の
クルマ好きやバイク好きが多く立ち寄るお店になりました。

現在は家の事情もあり、勤めは辞めてこの3月より、
木・金以外の平日もカフェを営業するようになり、現在に至ります。
(※冬期は土・日・月のみ3日間の営業)

彼の珈琲は、世界各地の一級品と言われる豆だけをセレクトし、
少量ずつ名古屋の信頼出来る焙煎士に頼んで焙煎してもらい、
それをクール便で取り寄せ、使用しています。

それを(豆によりますが)手間の掛かるハンドドリップで、
一滴ずつ大切に染み込ませる様にお湯を加えて淹れて行きます。
その味と香りたるや、俺も相当な珈琲好きですが、
それまで飲んだ中で、間違いなく一番と言えるものでした。

お店は小さく、席数も少ないですが、数名で行った場合、
この様な淹れ方なので、間違いなく待たされます。

それが我慢出来ない方、一杯の珈琲のために数十キロ、数百キロの移動を
する価値を見出せない方には、無難にスター◯ックス等をお薦めします。

しかしその価値が分かる方には、このスローな珈琲は、何よりのご馳走となります。

俺も初めて味わったその珈琲のインパクトが忘れられず、
すぐに次の週末に、今度はツレを誘って再び訪れたほどです。
そして今回は一ヶ月振りに訪れる事が出来たのです。

食事メニューはありませんが、マスターのこだわりレシピで
信頼出来るケーキ工房に作らせているケーキとパンがあります。

「このケーキにはこの珈琲」と、マスターにはお薦めの組み合わせが有り、
ここ2回は、ケーキをまず選んで、それに合う珈琲を淹れてもらっています。

それが本当に最高で、珈琲を味わう事が、これほど贅沢な事なのかと、
しみじみと感じさせてくれるのです。

普通のカフェの様に、回転率やランチメニューなどで稼げない、
宣伝もしない、割引クーポンで集客もしない、こんなお店は、
マーケティングやビジネスのコンサルタントに言わせたらダメなのかもしれません。
実際平日に訪れる客はごく少なく、経営的に成功してるとは絶対に言えません。

だけどここに来て、時間を掛けて淹れて貰った一杯の珈琲を味わえば、
そんなたわ言に、なんの意味もない事が分かると思うのです。

愛車やバイクを飛ばして、ワインディングを抜けた先に
その一杯を味わうに値する珈琲があること。

それが一番大切な事じゃないかと思うのです。

サンキュー・ベースマン
初めて逢ったのは、2000年の6月。
中津川コニュニティセンターのホールで、
AMLOW達が主催でライブをした時だった。

それにAMLOWの兄貴のバンドが出るって
聞いたので、どんなもんか見に行った。

AMLOWの兄貴とは、茂君のことだが、
その時はまだ面識も無く、顔も知らなかった。

そのライブは、俺らより10コ位年下の子達が中心で、
出演バンドはメロコアやヒップホップが多数。

その中でAMLOWの兄貴のバンドというのは、
俺も大好きだったCADILLACを演った。

そんな場所でロックンロールが聴けるとは
予想外だったが、思わず前に出て、
ひとりでツイストを踊った。

そのライブが終わってから、人懐っこい笑顔で
話し掛けて来てくれたのが、そのバンドのベースの
おせいちゃんだった。

そのバンドこそが「ろーとるず」。
後に一緒にサンドラディーを中心としたイベントを
運営して行く事になるが、その時はまだ、
そんなに長い付き合いになるとは知らなかった。

それからほどなく、茂君はじめ、ろーとるずとの付き合いが始まり、
最初の中津川でのサンドラディーのイベントから協力させて貰った。

それまで中津川じゃロカやロックンロールのイベントは
成功させられないと勝手に思い込んでいたが、
ろーとるずのイベントの大成功を受けて、
それがただの思い込みに過ぎない事を知った。

茂君は元々ロカ&ロックンロールの人間だったが、
おせいちゃんはロカビリーバンドをやってても、
そういうのを、全く聞かない人だった。

唯一聞くのはサンドラディーのみ。
しかしそれはそれで、悪い事だとは思わず、
右ならえではなく、自分のスタイルを持った男なんだと感じた。
茶髪のロン毛でも、カッコいいと思った。

俺のステージデビューも、おせいちゃんが切っ掛けだった。
2001年の夏に2回目のサンドラディーの出演イベントを企画していた時に、
おせいちゃんは家庭の事情で、急にバンド活動が出来なくなった。

しかしライブは決まっている。
それで急遽ろーとるずでの出演を諦め、
イベントの為に限定でバンドを作ったのが「リミテッズ」で、
俺がボーカルをする事になった。

その後おせいちゃんは復帰し、全くロカビリーに興味の無かった男が、
独学でウッドベースを始め、短期間にぐんぐん腕を上げた。
俺がジャケットデザインをして、オリジナルの音源も作った。

おせいちゃんは、ろーとるず解散後、他のバンドを組む事は無かったが、
茂君の出演するライブには必ず顔を出していた。

誰にでも屈託なく話しかけ、いつも笑顔で、
絶対に威張らなかったから、若い子達からも好かれていた。

数年前に仕事の部署が営業に移り、
中津川駅まで30kmもある付知から、毎日名古屋へ通勤するようになった。
それでますますバンドは出来なくなった。

朝4時半に起きて、帰りは毎日11時過ぎというハードな生活。
だけどHRNの時には、毎回必ず遊びに来てくれて、盛り上げてくれた。
HRNにとっても、無くてはならない顔のひとりだった。


しかし別れは突然だった。
2/20月曜の朝、その知らせを貰った。
一体何の事か、訳が分からなかった。

現実が受け入れられないまま、
受け入れたくないまま、22日の夜に逢いに行った。
普通に寝てるかの様な、安らかな表情だった。

23日にお別れに行った。
別れを惜しむ焼香の列は、いつまでも途切れる事は無かった。
本当に驚くほど、多くの人が来てくれていた。
この参列者の数が、おせいちゃんの人柄を物語っている。

タフさが売り物の様な男だったから、
知らず知らずのうちに無理が溜まっていたんだろう。
毎日ほとんど寝てなかったんじゃないかと思う。

事故でも、病気でもない。
本当に突然、心臓の鼓動が止まった感じだろう。
家族でさえ、別れを言う暇なんて無かったくらいだ。

俺は12月に、リバーサイドスタジオで逢ったのが最後になった。
照和の時に、おせいちゃんから「前に出ましょうよ」と言われたが、
俺にしては珍しく、気後れして断ってしまった。
こんな事なら、一緒に前に出てやれば良かったと思う。

俺も右さんじゃないが、墓場との距離を測る歳になった。
俺だってこんな風に、いつ明日が来なくなっても不思議じゃない。

だから、もっともっと毎日、悔いの無いように生きなきゃならない。
家族を愛し、仲間を愛し、周りの人に感謝の気持ちを伝えなきゃならない。

家庭も有る身だから、全てが思い通りに出来る訳じゃないが、
将来に備えて余力を残したって仕方ないと思う。

きっと先生も、おせいちゃんも、俺達がやる事を、どこかから見てくれてる。
俺は誤摩化さず、言い訳せず、いつかあの世で逢った時に
恥ずかしくないように生きて行く。

これからもおせいちゃんを楽しませるつもりで、
HRNとクロネコナイトを続けて行く。


サンキュー・ベースマン。
ちょっと早かったけど、息子と娘をちゃんと育て上げて、
立派だったと思う。尊敬するよ。

いつかまた、一緒にバンドやろまい。
その時まで、もうちょい待っとってな。

photo 2004年8月@クロネコナイト
ブレスの、先生の想い出
1/10深夜
ブレスの先生こと、渡辺英樹氏が
突然の心筋梗塞のため、息を引きとりました。

先生とは、もう15年以上の付き合いでしたが、
あくまで店主と客との関係で、
プライベートで親しくしていた訳ではありません。

ブレスを手伝っていたリスケちゃんはじめ、
一緒にバンドをやってた人達、世話になっていたバンドマンなど、
俺なんかより、先生を良く知る人は沢山居ます。

だけど凄くクセのある人と思われていた先生の事。
彼の事を快く思わなかった人も居る事は知っています。

それでも俺にとっては恩人とも言うべき、
尊敬する人物でしたので、良く知らない人から
変な噂をされるのは忍びないので、俺の観点で、
また俺の知る範囲で、ここに書き留め、残して置く事にします。


何故先生と呼ぶかと言うと、元々は柔道整復師として
渡辺接骨院という診療所を営み、院長をしていたからです。

元々恵那市の人ですが、恐らくそれで財を築きまして、
確か94年か95年頃、中津川にOne & Onlyという
シャレたカフェバーをオープンさせました。

この店は光岡ドゥーラという、900万もしたという
クラシックカー風の高級車が店内に飾られており、
それは当時の先生の愛車でした。

そのため、ここはなかなかにバブリーな雰囲気の店でして、
当時の先生も長髪でチャラい恰好をしていて、
店主なのに愛想も悪く、俺も良い印象は持ってませんでした。

この店は郡のオーナーのA氏と共同経営をしており、
その後2人はそれぞれの店を持つ事になります。

A氏はその場所で「郡」というショットバーを。
先生は駅前の、現在魚民になっている場所にブレスを開きます。
この場所は元々「M\\\'s」というビールバーの有った場所で、
居抜きの形で、当初はバーとしてのスタートでした。

ドゥーラを持ち込んだOne&Onlyと違い、
バーのブレスは特に特長もなく、パッとしない印象でした。

それがどういう切っ掛けでライブハウスになったのか?

本当の所は聞いて無いので推察に過ぎませんが、
恐らく暇な店内で、アコースティックライブなどをするうちに
自然にそんな気運が高まって行ったのでしょう。

中津川という、当時人口5万人程度の小さな街で、
本格的にライブハウスとしてやっていく事となり、1996年の11月に、
ライブイン・ブレスとして再スタートを切る事になりました。

当時の俺は、上の娘がまだ1歳になったばかり。
それまで中津川には遊び場が無く、名古屋のチームに所属して、
主に名古屋が遊び場で、ロックンロールのライブといえば、年に数度、
有名なバンドのものを、名古屋や岐阜の大バコに見に行く程度でした。

15の頃から、自分はずっとロックンローラーだと思って居ましたが、
中津川には自分の他にそんな人は居ないし、ましてロックンロールの
ライブが見られるなんて、夢にも思ってませんでした。

中津川でライブといえば、それまでは公民館の様なところか、
喫茶店の様なところ、またスタジオ的な所を借りて、
機材もPAもレンタルで手配してやるしか無く、大変な苦労が必要でした。

いまでこそライブハウス、又はライブが出来るお店は、
色んな土地に存在するようになりましたが、当初ブレスは、
「日本で、一番人口の少ない街に存在するライブハウス」と言われました。

それだけ、当時はライブハウス経営は敷居が高かったと思うのです。
先生にしても、恐らく勝算が有った訳でも無いし、
余裕が有った訳でも無いと思います。

想像ですが、あの素敵なドゥーラも、
ライブハウスの機材に変わったのではないでしょうか?
そうして少しずつ機材を揃え、ステージやカウンターなども全て自作し、
文字通り、手作りのライブハウスを作り上げたのです。

真っ黒に塗られた壁も、自分達で塗ったもので、
そこに伊藤龍太が、絵を描きました。
そんな感じが、俺は怪人20面相ぽくて好きでした。

ブレス誕生とともに、今も一緒にHRNをやっている、SHOUT!も
活動を開始し、12月に初主催ライブを行ないました。

それから97年は月イチでSHOUT!のイベントを組んでくれて、
客が居ても居なくても、俺はずっと最前で踊る様になりました。
先生のお陰で、俺は中津川に居場所を見つけたのです。

それまでロックンロール以外は絶対に受け入れなかった俺が、
ブレスを通して色んな世代の子達と知り合う様になり、
世界も人脈も広がりました。

駅前のブレスに、I.D.Oさんがやって来てくれた事もありました。
セキラのAMLOWとも、木村至信バンドと出逢ったのも
全部ブレスが切っ掛けです。

今、俺が幸せを感じて生きていられるのは、
先生がブレスを作ってくれたお陰と言っても過言じゃ有りません。

ブレスは99年に、今の新町通りに引っ越しました。
俺がステージデビューしたのは、今のブレスで、2001年の事でした。
そして昨年2011年、ブレスは目出たく15周年を迎えたのです。

打ち上げで上機嫌だった先生の姿が印象的で、
20年、25年と、ずっとこんな日々が続けばいいなと思いました。


ところが1/9〜1/10の深夜、突然倒れて病院に運ばれた先生は、
2012年1月10日、午前1時18分に息を引き取りました。

俺は以前から、先生が心臓が悪いのを知っていました。
よく「俺はもう長く無い」と数年前から聞かされていました。
あんなに車好きだった人が、そのせいで免許を返納したと聞いて、
それが冗談じゃ無い事は感じていました。

だけど、、だけど、、
本当にそんな日が来るとは信じたく無かった。
歳だって、俺とひとつしか変わらないのに。


家族の居なかった先生には、いわゆる葬式も通夜も有りませんでした。
1/10の夜は、先生がブレスの近くでやっていた「豚の台所」という
居酒屋に、先生の身体は安置され、ひっきりなしに先生に世話になった
バンドマン達が、弔問に訪れました。

先生の顔は、うっすらと笑みを浮かべて、
本当に安らかな顔で、まるで眠っている様でした。
今にも「なんちゃって〜」と起きて来そうで、
しばらく側にいたけど、そんな奇跡は起らなかった。

そして1/11の早朝、氷点下近い気温の朝、また多忙な仕事前にも関わらず、
30名以上の友人、バンドマン達がお別れに集り、
静かに、先生の旅立ちを見送りました。

100年生きたって、何も残せない人は山ほど居ます。
だけど先生は、47年程の人生で、色んな人に影響を与え、
本当に大きな物を残したと思います。

今も日本のどこかで、ブレスのステージを踏んだ
ミュージシャンが活躍している限り、
先生の魂は、いつまでも生き続けます。

今後ブレスは存続出来るかどうかは分かりませんが、
そうなるために協力が必要なら、皆で力を合わせるしかありません。
俺達は、先生の魂を受け継いで、守って行かなきゃならないと思います。

ともかく俺は、先生に対しては、お礼の言葉しか浮かんで来ない。
俺は、先生から一目置かれてた事もあるだろうけど、
先生の事を嫌な人だとは、一度も思った事が無い。

先生、ありがとう。
俺はまだまだ頑張るよ。
またいつか逢いましょう。
2012年始まりました
2012年
今年もスタート致しました。
皆様に置かれましては、良い新年をお迎えの事と
お慶び申し上げます。

今年は新年早々からビッグイベントがありまして、
何とか大役を終えて、やっと一息ついたところです。

その時の様子や、年末の狂い咲きロックの
リポートなどは、過去日記となりますが、
これから時間を見つけて書いて行きます。

最新の日付の物が最新の日記とは限りませんので、
良かったら古い日付の物も気にして見てみて下さい。


今年のお正月は雪も無く、曇り空でしたので、
ずいぶん暖かく感じました。

起きて初めて行ったのは、まずは頭を決める事。
もう30年、1万日くらい毎日リーゼントし続けています。
今年もバッチリ決まって気分良し。

家族で近所の神社に初詣に行った後、
昼頃RSを出して、ヤードまで年始の挨拶を兼ねて
初乗りもキメて来ました。

暖かいと思ってたら、15ozのジーンズ一枚じゃ、
膝から下の感覚が無くなる程寒く、甘かった(泣)
かといってゆっくり走る訳では無いのですが、
寒くても最高でした。

そしてその後は初仕事で、アドレナリンのHPを更新。
それから仲間のCB750のマフラー交換のお手伝い。
そして寒風吹きすさぶガレージで、ビールで仲間と乾杯。

元旦から、リーゼント・モーターサイクル・仕事始め・
バイクいじりに、仲間との宴。

一年の計は元旦に有り。
今年はいつにも増して、盛りだくさんの良い年になりそうです。


去年は不幸な事も色々有りましたが、却って仲間との絆や縁、
物事を後回しにしない事、そしてチャンスを逃さない事の
大切さが分かった年だったのではないでしょうか?

今年は世界情勢的には激動の年となりそうですが、
ブレない信念と強い意志で、俺の関係する皆様が商売繁盛となり、
皆様やご家族さまが、明るく、健康で、幸せでありますように。
そして日本がこれ以上の災害から護られますように。
今も苦しんでる方の元に、笑顔が戻りますように。

そう願って、今年も自分なりに最善の努力で頑張ります。
本年も変わらぬお付き合いの程、心よりお願い申し上げます。


ハロー!!ロックナイトの方は、既に次の日程は決定しています。
次回#13の開催は、5/26(土)となります。

ゲストには大阪から、REDZONE Rock&Rollというコンピアルバム
にも参加したMOTOR3と、
岐阜の頑張ってる3ピースガールズR&Rバンド、Velvet Go! Go!を
お招きして開催します。

今回は前回以上に、ロックンロールオンリーなイベントに
なりそうなので、是非予定を空けて、楽しみに待っていて下さいね。


そして9月22日には、今年もクロネコナイトが決定しています!!
もちろんグレッチブラザーズに、ちょっと考えられない
ビッグなゲストが中津川に登場です!!

こちらも、見ないと一生後悔する内容ですので、
是非今から、予定を空けておいて下さいね♪

あと、某人気バンドのアルバムジャケットデザインが進行中で、
恒例のヤードTは、既にデザイン完了してます。
今年も楽しい事が目白押しです。みんなで楽しみましょう!!

今年は、何処で、誰と、どんな出会いが待っているのか!?
今年も出来る限り、フル回転で頑張ります。
他人の行動に不平不満を言ってる時間があったなら、
一歩でも前に進みたいと思います。

今年も俺と、俺の周りの人にとって、必ず最高の年になる!!
各地で出会える皆さん、今年もどうかよろしくお願い致します。
年明けのビッグイベント
年明け早々の
ビッグイベントとは、ここでも何度か触れましたが、
出身高校の同窓会でした。

卒業してから30年弱、
クラス会は2度ほど有ったものの、
学年全体の同窓会は、初めての試みでした。

同窓会って何をすれば良いのか?
どうやって人を集めたら良いのか?

参考にするものもほとんど無い所からのスタートで、
実現までには大変な苦労をしましたので、
何かの参考になる事を願い、書き留めて置きます。


そもそものスタートは、以前から同級生に誘われて、
同級生オンリーの、月一の飲み会に参加していた事です。

これはあくまで「同級生」のくくりで、小・中・高、
出身校は関係無くバラバラに入り交じって居ましたが、
ここから派生する形で、2010年の10月の終わりに、
同高校出身者縛りで飲み会に誘われ、プチ同窓会ノリの
軽い気持ちで参加したのが間違いでした(笑)

それがそもそもの、今回の同窓会の立ち上がりの
打ち合わせであり、単なる飲み会と思っていたら、
いつの間にか、クラス幹事をやる事にされていました。

高校時代の俺は、てゆうか小学校からずっとですが、
カッコつけてて派手好きなわりに、人前に立つ事は絶対に無く、
生徒会とか、クラス委員のクチは、意地でも避けるタイプでした。

特に人前で話す事なんかもっての他で、
電話すら本当に苦手で、大嫌いでした。
そんな俺が同窓会のクラス幹事とは(汗)

下手に張り切ると、思わぬ厄介事を背負い込む事は目に見えています。
なので、なるべく表だって動かず、自分の意見も表さない様にして、
決められた事だけキッチリこなして進めて行こうと考えていました。

年が明けてから、2012年1月2日に開催することが決定し、
早々に場所を押さえ、それからはふた月に1度集まり、
少しずつ具体的な話を煮詰めて行く事になりますが、
当初は飲み会メインの、全くゆっくりなペースでした。

まず一番大変なのは、ライブでもそうですが、人を集める事です。
俺の出身高の、ウチの学年は全部で360名ほどで、
当初はその中から、150名ほど集めるのが目標でした。

俺は自分のイベントでのノウハウから、
情報発信が一番の武器になることを知っています。
なるべく人任せにしたかったのですが、出来る人が他におらず、
2月に、専用のブログを立ち上げる事となりました。

ちなみにこれは、IDもパスワードも幹事全員に公開し、
誰でも書けるようにしたのですが、結局最後まで、
記事を書いたのは俺一人という結果でした。

ブログも立ち上がり、幹事の間では盛り上がって来たものの、
3月の震災でそんな浮かれた気持ちも吹っ飛び、
結局5月頃までは、何も行動は取れませんでした。

個人的には5月のHRNに続き、7月のクロネコナイトもあり、
体調がおかしくなるほどのストレスを感じながら、
クロネコナイト終了後にゆっくり休む間もなく、
クラス名簿の作成に入る事になりました。

ウチのクラスは、一応進学校の進学クラスだったので、
多くの者が地元を離れ、進学・就職をしています。

しかもクラス会自体10年以上やっておらず、
実家すら地元に無くなってしまった者も少なく無く、
その当時の名簿は、全くアテにならない状態でした。

しかも本来クラス会幹事の予定だった人の協力が悪く、
ほぼ一から、自力での名簿作成を余儀なくされました。

他のクラスの幹事がどんな考えだったのかは知りませんが、
俺は、欠席するのは仕方ないとしても、「住所不明」という理由で、
案内ハガキすら手元に届かない様な事態は、許されないと思いました。

結局色々な名簿をかき集め、有力そうな連絡先に、
一軒一軒電話を掛けて行くローラー作戦が一番確実で、
逆にその他には有効な方法は無さそうでした。

今は電話を使った、様々な詐欺商法がまかり通っており、
家族が出た場合、まず100%不信がられます。

俺は本当に電話が苦手で、特に知らない人と話すの事は、
とても気の重い作業でしたが、それでも丁寧に、
誠意を込めて事情を説明し、理解して貰うのは大変な労力でした。

しかも、そうして何とか理解は得られても、
相手が本人じゃ無い場合、今度は「個人情報うんたら」の影響で、
簡単に連絡先などは教えてくれません。

それでも色んなツテを駆使しながら、クラス47名中、45名までの
居所を突き止め、最新版の住所録を完成させました。

同窓会の連絡ハガキは、自分が作れば良いものが出来るのは
分かってましたが、前述の理由から、他の幹事に任せてました。

しかし出来て来た案を見ると、全く参加したい気持ちが起こらない。
それを否定するのも悪いので、自分のクラスの分だけは、自分でデザインし直し、
文面も参加したくなる様な言葉を加えて、9月の終わりに発送しました。

すぐに返送してくれる者、楽しい近況報告を書き添えてくれる者、
近況も全く書かずに欠席の者、10月末の期限を越えてから返送して来る者、
色々居ますが、まだ返送してくれるだけマシです。

中には返送すらせず、無視する、心無い者も居たりします。
結果としては、当初は47名中20名の参加表明を貰い、
8クラス中一番の出席率でしたが、その後キャンセルが相次ぎ、
結果としては18名の参加に留まりました。

俺としては大変不本意な結果ではありましたが、
やはりクラス幹事の情熱の違いが、
出席人数の違いとなってはっきり出る事だけは分かりました。

出席ハガキが戻り始め、人数が大体把握できるようになると、
会場側との交渉も進み、打ち合わせの頻度も月イチとなり、
やっと計画も具体的に動き始めるはずでしたが、
いつまで経っても飲み会メインで、イベントの具体的な話に入らない。

俺もずっと様子を窺っていましたが、結局引っ張れる人が居ない。
なるべく面倒は避けたかったのですが、そうも言っておられず、
女子で、元々の言いだしっぺのひとりと、俺が司会者に選ばれると、
それが実質のリーダーとなり、引っ張って行く事となりました。

こうなれば、自分のやり方を前面に出して、成功に向けて進むだけです。

俺はイベントで経験を積んでいるので、一番大切な事は
出席してくれた同級生達(ライブならばお客様)を満足される事で、
逆にそれ以外に大事な事は、何もない事を知っています。

まず、進行はきちんと分かった方がいいし、記念にもなるので、
しおりを作る事にしました。

我々が通っていた時と現在では、校舎が建て替えられて全く違うため、
学校側の許可を取って撮影させて貰い、その写真と、当時の写真を
組み合わせて、スライドショーを作る事にしました。

BGMは皆の意見から、当時のヒット曲(81年〜84年)を集めて、
iPodに入れ、シャッフルで流す事にしました。
一般的なレンタルのコンピで賄えない曲は、自腹で中古CDを集めました。

最後に校歌を歌いたいので、当初は「音源を使ってカラオケ」
との意見も有りましたが、それではつまらないので、
元吹奏楽部員に依頼して、生演奏で伴奏を行う事にしました。
しかも楽器が足りないので、専用にアレンジを施して貰いました。

そして何より大切な事は、皆の一番の目的は「歓談」にあるので、
途中に変にイベント事は作らず、全3時間半のうち、最初の挨拶〜乾杯を30分、
後半に簡単な余興とスライドショー、記念撮影に校歌の合唱を30分だけ設定し、
間のまるまる2時間半は、一切フリーとしました。

結果的には恩師11名を含め、参加人数は124名と、
当初の目標は大きく下回りましたが、その代わり参加した人達には、
心から楽しんで貰えた事と確信しています。

それは2次会への参加者が、何と75名にも及んだ事が証明しています。
その後も3次会〜4次会へと、宴は12時間にも及びましたが、
最後までほとんど人が減る事はなく、みんな本当に良い笑顔で楽しんでました。

そして何より嬉しかった事は、
沢山の人から「ありがとう」と、何度も礼を言われた事です。
こっちこそ集まってくれて感謝してるのに、胸が熱くなりました。

約1年2ヶ月の準備期間を要し、
これだけ大きなイベントの幹事をするのは、大変なエネルギーが必要でした。
出来れば俺も、出るだけならお酒も飲めたし、どれだけ楽しめたか分かりません。
しかし大変な苦労をした分、他の誰より達成感はありました。


イベントは無事、大盛況で終了しましたが、
実は、我々幹事の仕事は、まだ完了しておりません。
最後に、参加してくれた人には、忘れた頃にプレゼントを届けるのです。

それを見て貰えれば、楽しかったこと、感激したこと、当日の記憶が
鮮明に甦り、改めて「参加して良かった」と思って貰えるはずです。

誰だって暇で来てくれた訳じゃありません。
みんなその為に、忙しいところ予定を空けて来てくれたんだから、
その恩に報いるために、最後までキッチリやらせて頂きます。

これはもう、ほとんどHRNクオリティの同窓会です(笑)
全く違ったイベントでしたが、存分にそのノウハウは発揮出来ました。
どちらも同じ。金の為じゃない。皆の笑顔の為に全力を尽くすのです。
和歌山への道
3連休2連発の後半、
直前まで台風が猛威を奮い、各地で通行止めが
頻発していましたが、今度は予定を遂行しました。

9月23日K-Placeプレゼンツvol.12
"RAGHAT ORCHESTRA" in和歌山に、
単独参戦して来ました。

和歌山でガレージK-Placeを営むkazzさんは、
以前よりマックショウ, The Face, The Movements
などを中心に、精力的にイベントを展開しています。

和歌山と中津川、ともに大阪や名古屋から1時間ほど
離れた不利な土地でイベントを行なっているという点で、
以前から共通性を感じていました。

お互い集客や収支の点での苦労は同じはず。
以前から名古屋のマックショウや、狂い咲きロック、
滋賀のイベントなどで面識があったため、いつかは
彼のイベントに、応援に行きたいと思っていました。

ところが今年も昨年も、7月はクロネコナイトと
イベントが被ってしまったり、直前まで行くつもりで
急に行けなくなったりと、なかなか実現しないまま
何年も経ってしまいました。

しかし8月の滋賀マックで出会った時に、
「9/23のイベントは、メンツの割にチケット安くし過ぎて、正直キツいです」と
内情を教えて下さいました。

イベンターは直前まで、不安との戦いです。
いくつもの励ましの言葉を贈られるより、
実際に来て貰える事が、どれだけ心強い事か。

その時のkazzさんの気持が痛いほど理解出来たので、
体調もまだ悪かった時だったのですが、
滋賀から帰ってすぐ、嫁に「9/23は和歌山へ行く」と伝えました。

本来なら行く事を伝えて、チケットの取り置きをお願いした方が
主催者としては嬉しいのですが、何故か窓口精算用の事前発行チケット
(前売り価格) を持っていた事と、体調の不安から確証は持てなかったので
事前表明は出来ませんでした。

実際、参加表明していた9/18の大阪のビッグ・パーティーには、
前日に急用が出来て行けなくなり、沢山の人に迷惑を掛けてしまいました。

今回も2度の台風で、和歌山・奈良・三重・名古屋という、
俺の予定ルート上が被害を受け、まるで何かの意志が、
俺の行く手を阻んでいるかの様でした。

しかし当日、前日までの天候不順が、嘘の様に晴れ渡り、
絶好のドライブ日和となりました。体調も万全。

ところが出がけに、急用でパソコンからメールを打てば、
パソコンの動きが悪く、出発予定が40分も遅れるわ、
伊勢湾岸道から東名阪に入ろうとすれば、通常20分の距離が、
2時間の渋滞となっていて、下道に降りらざるを得ないわで、
当初の予定とは大きく狂いましたが、何とか午後4時には和歌山に到着。

まずは夕飯代わりに、和歌山ラーメンを食べて、
無事会場近くのいかがわしい通りに有る、
1泊3,500円の安宿に、チェックインを済ませました。

6時20分頃、自分で調べた地図を頼りに、
会場の"本町Ragtime"を探して、初めて歩く街を進み、
それらしき場所に辿り着き、写真を撮ろうかと入口から離れると、

「うそや〜ん!!」
主催者のkazzさんと、滋賀のいちごパパさんに
発見されてしまいました(笑)

挨拶しつつ、おみやげなど渡しつつ、
固く握手を交わし、入場料を支払い、中へ。

"本町Ragtime"はぶらくり丁という、アーケードの
繁華街近くに有りながら、1F路面で、入口には
防音設備のない、雰囲気満点のハコでした。

今回の"ラグハット・オーケストラ"とは、
大阪のムーブメンツ、東京のローワーズとフルモンティの3バンドが、
「THE MODSの"スカーフェイス・ドライブ"のごとく、
みんなで揃って、みんなで知名度を上げながら、全国各地にツアーで回りたいね。」
というコンセプトで始まったツアータイトルで、今回がその記念すべき一発目。

明くる日は岡山で2日目という、新しいスタイルのイベントです。

それに京都のモービルズ、広島のコールガールを加え、
全5バンドがオールゲストという豪華さで、
チケットは前売り2,000円という、有り得ないリーズナブルさ。
主催者さんの労力には、本当に頭が下がります。

ともかく会場まで無事辿り着き、入場する事が出来て、
ここに来て初めて、俺も一息つくことが出来ました。

ポークパイハット・ラストナイト
12年程前に花粉症が発症したのですが、
9年程前に甜茶が良いと評判になった事があり、
それが俺にはバッチリ効きまして、
それ以降、すっかり克服した感じになっています。

しかし数年に一度、数日間だけですが、花粉症が
悪化する日が有り、今年は25日の金曜に、突然
鼻がかゆくなり、鼻水が止まらなくなりました。

土曜は更に悪化した様で、鼻詰まりのせいで肩が
凝って頭痛。更に寒気まで感じて熱を計って見ると、
少し上がり始めていました。

この日の夜は、名古屋市は鶴舞にある
ロックンダイナー・ポークパイハットへ行く予定です。
寝込む訳には行きません。

ポークパイハットは8年前にオープンしました。
ハンバーガーやタコス、アメリカンなサイドディッシュ
を中心とした、本格的アメリカン・ダイナースタイルのお店で
クリームソーダのI.D.Oさんから紹介された事も有り、
オープン当初から大のお気に入りのお店です。

当時は名古屋のライブと言うと、ここで明るい内から
一杯(実際には3〜4杯)引っ掛けてハコに向かうのが
定番でした。(そんで終わってからは山ちゃん・笑)

ここ数年は飲酒が厳しくなった事と、
ひとりでライブへ行く事が増えたため、
しばらくのご無沙汰でしたが、
絶対の自信を持ってお薦め出来る店でした。

…でした?

そうなんです。圧倒的な雰囲気の良さ。
料理の確かさ。オーナー夫妻の人柄の良さ。
いろんな意味で完璧なお店だったのですが、店舗の契約更新の関係で
4月2日を最後に、この場所での営業を終了してしまうのです。

なのでこの日はハイライトのもんじ君が発起人となり、
同じくハイライトのショーゴ君ファミリー、フランクさん&A姫、
ユタさんファミリー、おんぷさんファミリー、ナナちゃんファミリー
DAIちゃん&カナちゃん、しのぶさん、I.D.Oさん、その他で
ポークパイハット・ラストナイト・パーティーを開いたのです。

昼食を食べた後、熱は37.8℃まで上がっていました。
38.0℃を越えたらさすがに行くのは止めるべきか?
いや、ドーピングしてでも行くべきか?
とりあえず熱が有る事は嫁には内緒にして、ひとりで悩みます。

午後3時頃、少し楽になった気がして測り直すと、
37.3℃まで下がってました!!
とたんに目の前がぱっと開け、もう気分は既にポークパイハット(笑)

午後5時半の電車に乗り、鶴舞へ。もちろん飲むためです。
ちょうど7時にお店に入り、徐々に集って来る仲間と乾杯を繰り返しながら、
フィンガーチキンにフィッシュ&チップスをつまみに、生ビールを5杯程。
楽しい仲間に、楽しいお酒で、最高の時間を過ごす事が出来ました。

しかし体調が万全では無かったため、頭もお腹も痛くなって来てしまい、
終電が11時10分のところ、1時間早い電車で帰る事にしました。
とことんまで行けなかったのは後悔の残るところでしたが、
ともかくクローズ前にポークパイハットに行く事が出来たし、
みんなの元気な顔も見られて良かった。

オープンしては、すぐに潰れて行くお店が多い中、
ポークパイハットは数少ない、ずっと生き残って行くお店だと思います。
あまりに突然過ぎて、いまはまだ移転なども考えられない状態かもしれませんが、
いつか必ず復活して、またみんなに愛されるお店となる事を信じています。

ありがとうポークパイハット。
次に行くまで、あの最高のハンバーガーはおあずけにして置きます。
今回の震災に思う事
今回の震災にて被災された皆様、
ならびにご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
また犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみ申し上げます。

まだ保育園にも通っていなかった小さな頃、
家に居る時に地震が起こり、お袋がめちゃうろたえ、
ふとんを頭から被され、大人しくしてる様押さえつけられた。

それが自分の中で一番最初の地震の記憶。

揺れていた記憶は無いが、
それまで見た事のなかった、大人がうろたえる姿にびびった。

小学校に上がる頃になり、新潟地震の写真を見た。
橋が落ちてたりする様子が怖くて怖くて、
戦争や幽霊も怖かったけど、自分の一番怖いものはその頃から「地震」になった。

日本沈没なんて映画やTVドラマが流行った頃で、
幼い心には、フィクションとノンフィクションの境が理解できず、
それはいつか本当に起きる事なんだと、怖くて怖くてたまらなかった。
どうして自分は日本に生まれてしまったのかと、運命を恨んだ。

東海地震が近く必ず発生するとの学説が発表されたのも小学生の頃。
それは静岡県の話だと他人事のように思っていたのが、
中学の時に、阿寺断層上に位置する中津川市の危険性も発見され、
その後中津川市は岐阜県で唯一「地震防災対策地域」に指定された。

本当に怖い地震だったけど、
だからと言って生まれ育った町から逃げ出す訳には行かない。
その頃から地震を怖がってるだけじゃだめだという意識が生まれた。

日本で、世界で大地震が起きるたび、
明日は我が身と、覚悟を持って暮らしてきた。
王滝村の地震に、阪神淡路大震災。
その瞬間「とうとう来たか」と何度思った事か。

中津川市を始め、東海地震の指定地域の人間は、
いつでも「次は自分たちの番だ」と、きっと何らかの覚悟を持って生きているはず。
だからどこでどんな地震が起きようと、決して他人事とは思えない。
「明日は我が身」と心得て暮らしている。

今回の地震の起きた時間、俺は同僚とオフィスに居た。
オフィスなんて言っても、築40年以上のボロい建物の2階。
大きな地震が起きたら、間違い無く倒壊する。

仕事に集中してた為、最初は気付かなかった。
今までに経験した事が無い程、長い時間横に揺れていて、
いつ「ドーン」と大きな揺れが来るのかと身構えていた。
しかし結局そのまま揺れは収まった。

2度目の揺れの時には、車で営業に出ていて気付かなかった。
そんなに大変な事が起きているとは思っても見なかった。

行きつけの写真屋さんに寄った時に、東北に津波が襲っている映像を見た。
ひどくショックを受け、戻ってオフィスでパソコンから、USTREAM経由の中継を見た。

もの凄い地震が起きた事は分かったし、地域によっては壊滅的な状況は理解できたが、
まだその日には、被害者は数百人と発表されていた。
TVは同じロングショットの映像を繰り返すだけで、何も事実は分からなかった。

明くる日は会社の慰安旅行だった。
まだそれほど悲観的状況とは考えていなかったから、予定通り決行された。
飛行場まで行き、津波の影響で飛行機が飛ばなければ中止になるだけだと思っていた。

朝9時に飛行機は何事も無かった様に飛び、福岡空港に降り立つ。
九州の様子も、いつもと変わった事はまるで無かった。
太宰府天満宮〜別府温泉への観光を済ませてホテルに入り、そこでやっとTVで
至近距離から撮影された、生々しい津波の状況を伝える映像を見た。
これで被害が数百人で済むはずがないと、初めて状況が理解出来た。

その後の原発事故の状況は、旅行の移動の関係で、
Twitterなどからしか断片的にしか入手出来ず、
帰るまで、爆発があった事さえ知らなかった。

旅行2日目になると、福岡の街の中でもコンビニの看板が消えていたり、
天神の駅前でコーラスグループが歌って募金を呼びかけていたり、
震災の影響が少し感じられた。

一日に何度も携帯に入る、地元での地震発生を知らせるメール。
この地震に誘発されて東海地震がいつ起きるのかと、遠く九州の地で戦々恐々としていた。
どうせ発生するなら、家族の近くに帰るまで待っててくれと。

こんな震災の中、心配が大きく心も沈みがちだったが、
九州の地には、いつもと変わらぬ日常が有った。
彼の地の事を心配しながらも、目の前の現実を必死に生きる姿が有った。

そんな状況下で旅行を楽しんでいる事に後ろめたさも感じた。
しかし、帰りのバスの中で添乗員さんがこう漏らした。
「旅行社も、沢山のキャンセルが入り、明日からの仕事が不安です」と。

その時に感じた。こうした災害が起こると、必ず高まる「自粛ムード」。
もちろんそれが、被災地の人を救う事に繋がる自粛であるならいい。
しかし大部分は、自分の体裁を気にする事から生まれる「自分の為の自粛」。

それで経済を停滞させてはいけない。
元気で無事な人が、一生懸命働いて物を作り、物流を動かして後方支援をしなきゃならない。
自粛ムードで仕事を失う人が出来てはならない。
寝る所と食べる物に困らない人が、募金をしたり物資を送らなきゃいけない。

そう考えると、自分が旅行をしていた事も肯定的に考えられた。
色々おみやげを買い求めた事も、絶対に意味のある事だと感じた。

携帯からSNSをチェックすると、土曜にブレスで「the night」というイベントがあり、
そこで募金箱を設置して、いち早く4万円を越える募金を行った事実も知った。
歌う事で、ライブをすることで被災地の人を救う力になれる事に気付いた。
人が集まる事、それはすなわちパワーであり、それが個人を越える大きな力となる。
俺も自分のイベントを予定通り行う事で、大きな力を集められる可能性がある事に気付いた。

家に到着する時には迷いは消えていた。
自分はユンボもブルドーザーも運転出来ない。家を建てられる様な技術も無い。
ヒロイズムで被災地に乗り込んでも、食い扶持が増えるだけで却って足手まといになる。
俺には俺のやり方で、東北の人たちを助ける力になれる事が必ずあるはず。

その日のうちに次回のHRNでは、経費を越える利益が出たら全額寄付する事にした。
黒字にならなくても、身を切って最低3万円は募金する事に決めた。
口だけじゃない所を示すため、明くる日すぐに、前回のHRNの売り上げから、
次回の仕入れに使おうと避けてあった1万円をヤフーボランティアに募金した。

俺は自分のイベントで、社会貢献が出来ると信じている。
こうして宣言する事で、退路を断つ覚悟もしている。
誰かに何かを言われても、信念と使命感を持って遂行しようと思う。

俺が日本人の持つ、もの凄い復興のパワーを感じたのは、
高校生の時に研修旅行で行った広島での事だった。
原爆で壊滅させられた街。深い絶望感の中から、見事に復興を遂げた広島の街。
その地に立つだけで、ふつふつと湧き上がる勇気を感じた。

だから阪神淡路大震災の時も、それまで経験した事のない大きな災害だったが、
神戸は、日本は、絶対に復興出来るはずだと信じていた。
もちろん空襲の焼け野原から復興して世界一の都市になった東京も同様。
日本人は神から選ばれて、人類の手本となる様な復興の試練を与えられている様に感じる。

今回もM9.0という未曽有の規模の大地震。
映画を遥かに越える様な、物凄い大きさと破壊力を持った津波。
加えて原発の放射能漏れ事故といった試練を与えられ、正に瀕死の状態。

しかし東北の人達は、また我々日本人は、知恵と力を結集し、
恐らく新たな自然エネルギーの開発と共に復興する事だろう。
そのプロセスは、きっと地球全体をも救う力となるはず。

そしてその次の試練を与えられるのが、我々東海地方の人間なのだろう。
一説によると、今回の20倍の規模の地震となるとの説もある。
情けは人の為ならず。いま被災地の人を助ける事は、いつか自分たちに返って来るはず。

我々は覚悟をしなくてはならない。次は自分たちだと。
ウチも耐震工事をしようかと調べていたが、今回の震災を見て止めた。
対策したところでどうせ倒壊する。絶対に無駄になる。
だったらその後に生き抜くために蓄えておいた方がいい。

ただ願わくば、それが起きるならば、
東北地方が完全に復興した後になればいいと切に思う。

いまはただ、被災地の一日も早い復興と原発事故の収束。
そして被災した子供達のもとに笑顔が戻る事。
それだけを願って止みません。